指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki



ニュース〜齋藤秀雄メソードによる


 T 栄光の”指揮者の筋肉”とは? −その秘密を…−

 U 図形をなぞるだけの腕の運動から −科学的、合理的な指揮へ−

 V この曲にはどんな指揮(法)がよいのか? −そしてこの曲のこの部分には…−

 W 指揮者の曲の分析とは? −独特のアプローチを−

 X 演奏形態にとらわれない指揮法 −合唱でも、オーケストラでも、吹奏楽でも…−


<なぜ?今、齋藤秀雄メソードなのか・・・>徒然草第三段より


 
指揮者という存在はつくづく不思議な存在だと思う。自分で音を出すことはないのに、音楽の表現者として存在し、音は出さないのに演奏の責の多く(ほとんど?)を指揮者が負う。不思議でもあり名誉な存在とでも言えようか。

 ただ、一概に「指揮者」と一くくりには出来ない。プロの演奏家を相手に指揮をする「指揮者」と、小・中・高校で児童や生徒を前に指揮を振る「指揮者」とは、おのずからその役割が違う。
 その役割から考えると、演奏技術や表現力など、どれをとっても成長途中の子どもたちを前にして指揮をする方が大変な役割を果たしていると言えよう。仮に、指揮者の力が劣っていても、プロの演奏家はそれを補って余りあるものをすでに持っていることからしてもわかるだろう。

 しかし、現実は厳しいものがある。音楽大学などで音楽を専門に勉強し、音楽の教員免許を取ったとしても、(指揮科の学生以外は)指揮法を学生時代に学ぶ時間は多くはない。それなのに、学校現場ではどう少なく見ても、入学式、卒業式などの式典や音楽集会など…。ましてや部活動の指導者になったら、いやおうなく指揮はしなければならない。腕を振れば子どもたちは音を出してくれるだろう。しかし、本来の「指揮者」としての役割や、(控えめに考えても)演奏しやすい指揮をしてやらないと、演奏する子どもたちが気の毒とも思える。

 そこで登場する指揮法なのだが、科学的であり、系統的であり、誰もが身に付けられる指揮のメソードとして唯一、といっても過言ではないものが「齋藤秀雄の指揮法教程」なのである。他の多くの指揮法の著者は、腕の動きを等速運動の軌跡としてしか表さないのに対し、加速、減速に着目をし、なおかつ「叩き」「しゃくい」「平均運動」などと名付け、技術を詳細に分析して、練習方法を示しているのが画期的だ。

 腕を振る、という一見単純な動作の中から、音楽を演奏者に伝えるという難しい作業をしなければならない学校現場の先生方に、ぜひ指揮法の基礎を、演奏者が演奏しやすい指揮を身につけて欲しいと切に願う。

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