徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*百六段*<”見た目”で選んだ「田園」>2008.5.8

 緑がいよいよ目に染みる季節になった。桜の満開や散る花びらを見ていたのはつい最近なのだが、目に映る色が全く変わった。桜の淡いピンクからツツジの鮮やかな赤になって、印象が特に違うように思う。儚い桜と強いツツジのイメージか。緑も黄緑から濃い緑に変わろうとしている。

 この時期に心に浮かぶ音楽は、先ず第一がベートーヴェンの田園の第一楽章だ。ヴィヴァルディの春はあまり思い浮かばない。田園の一楽章は「田舎に着いたときの楽しい気分」という標題がついている。まさにその標題通りに曲が始まる。ベートーヴェン自身が、ハイリゲンシュタットの森を歩きながら浮かんだメロディーかな等と勝手に想像するのもまた楽しい。

 高校生の時に、この曲のレコードがどうしても欲しくなった。貧困高校生の私は、小遣いを3ヶ月分貯めてようやく30センチのステレオ録音のレコードが買える財政事情だった。レコード店は近くても船橋駅付近だ。銀座のヤマハや山野楽器は夢の店だ。
 さて、田園のレコードがようやく買えるお金がたまり、レコード店に行った。当時は買いたいレコードの試聴ができた。2枚か3枚は店員に言うと、ジャケットから丁寧に盤を取り出し高級なレコードプレイヤーに載せ、丁寧にそっと針のついているカートリッジを下ろす。そうすると店内ではあるが、スピーカーから音楽が流れる。ある程度まで聴いてから、候補の盤をまたかけてもらう。厳かな儀式のようなものだ。

 最後はその2、3の候補のレコードから選ばなければならない。迷うときだ。本当は基準を明確にもってはいないので勘で選ぶ。いま振り返ると、その勘はあまりあてにはならなかった。
 田園もそのひとつだ。コンビチュニーとゲヴァントハウスの演奏を試聴したのに、重いと感じて、名前の思い出せない指揮者とオケのレコードを選んでしまった。すぐに聴くのを止めてしまったレコードだ。簡単にいうと見た目の良さにごまかされたという感じだ。無骨なコンビチュニーを選べば良かったとずっと思っていた。

 例の竹木君が送ってくれたコンビチュニーとゲヴァントハウスの交響曲全集にその選び損ねた演奏がある。もちろんレコードではなくCDになってであり、音質もレコードより格段に良くなっている。
 選び損ねた後悔もようやく薄れた。40年経っての懺悔のような感じだ。あの当時は若気の至りで本物を聴く耳がなくてごめんなさい、コンビチュニー様。確固たる信念を持ち、微動だにしない演奏を田舎風で野暮ったい演奏と思い込んでいました。見た目で選んでしまう欠陥は異性にもそうでした、と書いてみたがこれは洒落だ。




 

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