徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*百七段*<一瞬の…>2008.5.11

 (本番前リハーサル)

 女声合唱団ねむの花の演奏会「邦人作曲家四人展」が終わった。指揮者としては、まず、雨天の中ご来場くださった方々に感謝を申し上げねばならない。四人のピアニストと二十四人の歌ってくれたメンバー、もちろん当日まで準備作業をした人たち、本番当日のスタッフにも感謝あるのみだ。指揮をする喜びとともに、人のつながりを改めて感じさせてくれるのが本番の演奏会だ。練習だけでは得られない何かを感じさせてくれる。それがありがたい。

 四人の作曲家の一人、大中恩先生がわざわざご来場くださった。これも望外の嬉しさだった。「海の若者」「秋の女よ」を、女声合唱に編曲をお願いしてやっていただいた。何十年も前のことを覚えていてもくださった。あの時にやっていただけなければ、女声合唱としてこの二曲は演奏できなかった。大中先生は齢83歳になられる。作曲は歌曲を中心に今でも続けられ、新曲の発表も予定されておられるとのこと、その話だけでもありがたい一瞬だった。

 今回のホールは初めて使うホールだ。小ホールとして使い勝手の良い、新しい、気持ちの良いホールだった。惜しいのは残響1.2秒がやや少ないことか。残響が多ければ多いほど良いということでもないのだが、会場全体がシューボックススタイルの音楽専用ホールといっても通用するのに、多目的ホールとなっているせいか、音響にいま一つの感があるのがもったいない気がする。特に都内では音の良いホールが増えているだけに、立地を考えて比較すると、いかにも惜しい。

 演奏の評価は、演奏自体が主観によるものなので、自己評価が難しい。音楽表現には技術も必要だ。技術だけでなく音楽性や精神性、要するに人間を表現することを伴わなければ価値はないといってもよい。この二つを追求するということを根底にしての活動をするのであれば、おのずと結果はついてくる。ある限られた時間と空間をともにする演奏者と聴衆が「感動」という体験ができればそれが評価だ。それも価値の高い評価だといえよう。

 一瞬で音が発せられ、一瞬で音が消える。この繰り返しを時の経過とともにしているのが音楽の演奏だ。一瞬、美しく、一瞬、強く、一瞬、・・・。終われば、残る一番の心は「虚」だ。我々人間そのものが虚の存在だと思えば、音楽表現はまさしく人間そのものだ。虚とわかっていても生きる。虚が残るのを承知で演奏をする・・・。生きていると感じ、生きることへの感謝をすることのできるかけがえのないひとときであったことに間違いない。




 

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