徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*百八段*2008.5.17



 田園交響曲に関しての三回目の徒然草になる。緑の美しいこの季節になると、真っ先に浮かぶのが田園交響曲だとは前段で書いた。ベートーヴェンの交響曲は奇数番号が激しい曲で、偶数番号が温厚な曲だといわれている。一番は、九曲の中では、やや習作風ともいえ、比較からは外したほうがいいだろう。

 温和な偶数番の交響曲の中でも、この第六番「田園」は他の偶数番号の曲とも違う独自の世界を持っている。楽章が五楽章あり、それぞれの楽章に標題が書かれている。第一楽章「田舎に着いた時の楽しい気分」や、第二楽章「小川のほとりの光景」などだ。その後に続々と生まれる標題音楽のはしりともいえる。そして、激情がほとばしるような個所もない。激しい感情の表出はベートーヴェンの持ち味でもあるのだが、田園にはそれはない。激しい部分と言えば、第四楽章の「嵐」の部分だ。これも激しいとは言っても、自然現象の「嵐」を表現する激しさであり、感情のほとばしりとは違う。

 さらに、もう一つの特徴が、三楽章から五楽章までが休みなく続けられるというところだ。それまでにない形だ。農民たちの踊りから、嵐、嵐が去った後の喜びと感謝の楽章が途切れることなく展開される。どの楽章も、その場面が目の前に出てきそうなくらいに情景を描写している。交響曲だが、標題音楽といってもよいくらいだ。

 さて演奏だが、これは難関だ。ある意味で九曲の中で一番難しいと言えるかもしれない。各楽章ともに美しい、限りなく美しい。聴くほうにはたまらない魅力があり、表現する側には厳しい曲だ。指揮者にとってもやりにくい曲の代表かもしれない。楽器の使い方でいえば、ホルン以外の金管楽器の出番が極端に少ない。もちろん演奏している時間よりも黙って座っている時間のほうがはるかに長い。エネルギーの集中のしにくい曲とでも言ったらよいのか。それを反映してか、ベートーヴェンの交響曲のうち、演奏される回数は一番少ないのではないだろうか。

 ベートーヴェンらしくない交響曲の代表ともいえるこの曲だが、心地よく聴けるという点では一番だ。疲れているときでも、楽しい時でも、ちょっとした時間があった時などに一楽章だけを聴くこともできる。ほかのベートーヴェンの交響曲は、聴くときの心構えが必要だ。五番の第一楽章だけを聴いて満足というわけにはいかないだろう。あの鉄の意志をもつベートーヴェンのこわい顔が浮かんでくるし、そんな聴き方ではベートーヴェンが出てきて怒られそうだ。というわけで、この季節に聴くのに一番ぴったりの曲としてこの田園交響曲はお勧めだ。この曲の録音は名だたる巨匠がしている。カラヤンが初めて録音したレコードは、ハイリゲンシュタットの森を車かスクーターで走り抜けているようだと評した人がいた。ジェット機の操縦を自分でしていた指揮者カラヤンの面目躍如ともいえる。当時は速いと感じた演奏もいま聴くとそれほどでもないように感じるから、音楽の感じ方は面白いともいえるし奥が深い。




 

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