徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*百十段*<人間管見−1−>2008.5.21

 久し振りに人間管見を書く。関東地方では、昨日は悪天候で五月晴れの気分も一休みだ。少し前の入学式の頃に、公立高校で入学金の未納者の入学を、少し時間を遅らせて入学させた高校があり、報道では結構叩かれていた。普通に入学を認めてから保護者に再度納入を促すという方法もあったのかとは思うが、あながちこの校長先生の処置を間違っているとも言えない気がする。受験して合格して入学金の納入というのは、道筋として予測できる範疇であり、親としては何としても入学金の用意はするべきだと素直に思うのだが、某大学教授はそうは言ってなかった。杓子定規でいかにも公務員的な処置だと・・・保護者や生徒に謝罪するべきだと・・・。こんな意見が報道されることが情けない。意見はいろいろあるのだと認めた上でだが。物事には、そこに至る経緯がほとんどのことにあり、その結果として事実が現れる。この基本を忘れてはならない。瞬間の事象だけをとらえて批判をすれば、いくらでもできる。判断には多くの材料と少しの時間が必要だ。特に、力を行使できる立場の人間には。

 私の心の中で、どうしても許容できない人間のパターンがある。ひとつは、自分の価値観と違う人を認めないだけでなく「攻撃」をしてくる人間だ。認められなければ放っておけばいいのに、その存在を攻撃し、あわよくば抹殺(その世界やその社会のなかで)しようとする。これは許せない。こんな形で人生を狂わされた人は相当いると思う。組織の中で仕事をしてきた人は、多かれ少なかれこんな体験はしているのではないだろうか。そのもとは「嫉妬」であったりするから始末に負えない。

 もう一つは、流言によって、判断をしてしまう上司だ。これも困ったものだ。救いようがない。「信義」を重んじない人間は「真偽」がわからないのだ。これも世間話で終われば実害はない。しかし、その世間話を信用して、人事に反映させた時が悲劇だ。人事で泣いている人は数え切れないだろう。「長」にふさわしい力量の持ち主が「長」になればそんな弊害も少ないのだろうが、力量もないのに「長」になれるタイミングでなる人もいる。そんな上司に巡り合ったらどうすればいいのか。その長の力に対抗できるように自分の実力をつけるか、しかし、現実の対応としては難しいだろう。組織は組織の存続を第一に考えるから、個人の力は無に等しい。その時は、それに対抗できる人脈を作るのが一つの手段だろう。伏魔殿のような人間社会が煩わしくもある。

 「徒然草」で人間管見を書くことは、音楽関連の文章を起こすよりも難しい。私は組織の中で十二分に仕事をすることができた。その裏付けがなければ、人間管見を書くのもただの恨みごとか愚痴でしかなくなるだろう。規則の不備や欠陥を唱えられる資格があるのは、誰よりも規則を守ってきた人間でなければならない、と思うのと同じだ。長い人生には様々な人間との出会いがある。いいも悪いも含めて、振り返られるのは幸せだと思わねば・・・。




 

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