徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*百十三段*<高原の空気−2−>2008.5.25



 近くの公園の木々の緑が少しずつ濃くなってきた。桜の花に春の訪れを感じ、葉桜に短い命と新しく生まれる息吹を感じたのがつい最近だと思っていたのに、五月も末になった。湿度が高くなると梅雨から夏への序章の始まりだ。エアコンの除湿機能を使った今日がその日か・・・。

 私の好きな地名が浮かんできた。前段の竹木君が「ホタル」を披露したのが、長野の飯綱高原だった。(オーケストラの合宿での一コマだ。妙に懐かしい。)呼び名としては、長野という地名よりも「信州」といったほうが私には馴染む。「軽井沢」「蓼科」「白馬」「白樺湖」「霧ケ峰」「車山」「志賀」など、どれも東京付近ではつけられない地名といっていいだろう。長野と山梨の県境にある「清里」は、その漢字二文字でまさしく土地の雰囲気を示してくれている。その名も清し「清里」だ。宇野功芳さんの著書「たてしな日記」でその名を目にした。その文中で、蓼科も清里も俗化が進んだと嘆いておられた。40年くらいも前の時だ。著書を読んだ時には、まだ蓼科も清里も行ったことがなかった。その後間もなくして訪れる機会を得るわけだが、俗化が進んだとも思える光景がいくつかは見受けられた。駅前の都心を彷彿とさせる店や、蓼科にもロープウェイが建設され、観光地として、別荘地として売り出しの最初の頃だ。それでも清泉寮付近から見る八ヶ岳は頂上付近に雪を抱き、凛としてそびえたっていた。若い私には「感動」の一言だった。

 高温多湿の関東地方の平野にしか住んだことのない私には、高原の爽やかな空気や、朝、聴こえるカッコウの鳴き声など、どれもが心を奪われる新鮮な感覚なのだ。あれから何十年も経った今でも、その感覚だけは変わらない。高野喜久雄さんの詩の「・・・山にこがれ 石を身ごもり、空にこがれて 魚を身ごもる・・・」のフレーズに、どれだけ心が震えたことか。

 習志野第一中学校のオーケストラの合宿は、飯綱から苗場へと場所が変わる。それでも、冬はスキー場になり、夏は涼を求めての避暑地となる音楽の合宿には持ってこいの場所だ。その中で六日間も、若いオーケストラの部員と、その卒業生のОB・ОGたちと心行くまで音楽をし、心を許しながら歓談をするその時間がいかに貴重なものだったか。その時にはあまり思わずに、後からその価値に気付くという私の変わらない鈍さを今更ながらに痛感する。

 私の心の渇きをいやしてくれる場所は、外国ではないのだ。特に若いころに行った、近場の想い出の場所に行ってみたいと漠然と思う。これが漠然ではなく必死に思うとしたら、いよいよ老境を自覚しなければならないのだろうと、漠然と思う・・・。まだ、大丈夫かも?



 

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