徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 

*百十五段*<思い出の断層−39− 病編・・・なんか変>2008.5.27

 前段で、心・技・体のうちで「体」が課題かと書いた。中学生の時にバレーボール部に入っていて、スパイク練習の時にこぼれた球の上にジャンプのあと乗ってしまい、足首の捻挫をした。その時の処置をしっかりしなかったせいか、腰痛で朝起きた時に起きあがれなくなってしまった。脊椎分離症だった。牽引、カイロプラクテック、コルセットの着用といくつかの治療を受けたが、結局完治することなく、半ば諦め半ば納得しながら今に至る。

 思い返すと、少年期から青年期にかけて結構苦しかったなと思う。要するに、腰部の鈍痛が始終あるし、見た目は病気とも見えず、何ともその状況を容認できるまでに時間がかかった。健康保険の使えない治療もあったので、親には医療費の支出を大きくさせてしまった。決して裕福とはいえない家の状況を知っていただけに心苦しかった。文句も言わずにお金を出してくれたことに感謝しなければならない。なにしろ何年間もの治療だった。

 結局、中学から高校の途中まで続けたバレーボール部は退部することになった。高校の時も、もちろん勉強が好きではなかった私だ。何かバレーボールに代わるものを探さなければならない。これが音楽部に入るきっかけだ。

 弱小音楽部で仲間と自己流の音楽をやるのは、それはそれで楽しかった。そして、それだけでなく岩手県からベテランの優秀な音楽の先生が着任され、私の中では大きな出来事になる。本物の音楽表現、慈愛にもあふれ、懐の大きな、今でも私の音楽との出会いの原点といえる。

 考えようによっては、脊椎分離症にならければ音楽にのめりこむこともなかっただろう。超一流のアスリートにはとてもなれないだろうから、サラリーマンになって趣味でバレーボールとかソフトボールとかをやっていたかも知れない。その姿を自分で想像するのも難しいくらいのイメージでしかないが・・・。私とサラリーマンと夜の体育館でのバレーボール、またはゴルフ?か。うーん、あまりしっくりこないな。やっぱり持つものはゴルフのクラブではなく指揮棒か。

 そういえば、ゴルフやボーリングは背骨をひねるから脊椎によくないということで、ドクターストップがかかっていたことも思い出した。コルセットをつけながらボーリングをやって、次の日、カイロの先生にすかさず「何かしただろう」と叱られたことがあった。さすがにプロだと、その先生を尊敬してしまった。

 なぜか病院の待合室でこの文を書き始めたのだが、場所のせいか病気の話がすらすらと書けそうな気がしてきた。我ながら単純すぎる。



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