徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*百十七段*<電車の中で>2008.5.29

 電車に乗っていて、ふといくつかのことに気づいた。この電車と書いたのは、新幹線や特急列車ではなく、昔の省線(たぶん運輸省の路線だから「省線」なのだろう)あるいは国鉄と言っていた時の「E電」と呼ばれていた都内と近郊を結ぶ各駅停車の電車のことを指す(E電はあまり好評の呼称ではなかったかも。山手線の電車や総武線の電車、というのがわかりやすいか・・・)私の利用する電車は、JR東日本の電車ということになる。

 先ず、第一に窓が大きくなった。昔の電車の五枚分くらいの面積が一枚のガラスになっている。一部分は開閉可能、おそらく一部分は開閉不可、俗に言うはめころしの窓だろう。エアコンがついていればそれでも構わないわけで、暑いからといって窓を開放する必要もないのだから当然ともいえる。冷房が全くなかった時は、窓からの強風と扇風機が頼りだ。蒸し暑い夏はかなり厳しい車内だった。その後、冷房が入るようになると、その車両に当たればラッキー、冷房車でなければひたすら「我慢」だ。

 ほかには、吊革にも工夫があり、優先席とそうでなない座席の前とでは吊革の色を変えてある。それだけでなく、吊革の長さも長短混ぜてあるのだ。なるほど、ノーマライゼーションだ。

 座席の端の部分が、パイプから板状のものに変わってもいる。これは、万が一の衝突や急ブレーキの時に、座席の端に座っている人の荷重を、線ではなく面で受けて衝撃を少なくする効果を考えてのもののようだ。「なるほど」と素直に感心した。そういえば、時速200キロ以上で疾走するFTレースで目にするとてつもないクラッシュでもドライバーが無事な姿を見ると、人間への衝撃を少なくすることの有効性ははっきりわかる。昔のFTレーサーとして名をあげた著名な人で、レース中の事故で死亡した人は少なくないと記憶している。ジム・クラーク、グラハム・ヒル、アイルトン・セナ・・・、ライバルのプロストはどうだったか。

 何年か前から、レースの事故での死者はゼロが続いていると聞く。喜ばしいことだし、技術の進歩を如実に示している。電車の話に戻ると、最新型は運転席の前後も多く取ってあり、そこにクラッシャブルゾーンを確保し、衝突時の衝撃を吸収するとのことだ。自動車の安全ボディーと同じ発想だ。以前、機会があり運転席に入ったことがあるのだが、その時は想像より狭いと思った。特に前後の感覚が。


 公共機関を使って快適に移動できるということは気持ちのいいものだ。昼間は酔客がいるわけでもなく、朝夕のラッシュでもない。道路の渋滞もなく、更には私の乗った車両には、この車両の消費電力は従来の型の二分の一です、と表示されていた。省エネも達成している。電車を降りて、走り去る車両のパンタグラフを見て驚いた。15両の編成なのに、パンタグラフは確か二つしかなかった。モーター二個で全車両を動かしているということだ。以前は、二両に一台はパンタグラフがあったのに。

 快適に電車での移動を楽しんだ。新しい発見もあったし・・・。しかし、その後の会議は疲れた。心や精神の疲れがなかなか取れない。これは若いころとの大きな差だ。物理的に、細胞が消滅しながら肉体が老いるとすれば、精神の老いは複雑な人間関係で生きてきているうちに、心の傷がいやされる速度が遅くなり、傷や疲労が蓄積していくことなのかと思えるようになってきた。このことに関しては、後の段でも書くことになるだろう。

 肉体も精神も自然に老いて、「死」をも自然に受容できるようになる。生き物、あるいは人間はうまくできているものだ。・・・と断言はできないが、何となくそう思えるようにはなってきた。これは進歩か老化か?


 

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