徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百十九段*<アバードとオーケストラマン…魂の演奏>2008.6.1

 魂の演奏・・・こう表現するしかないだろう。アバードとルツェルン祝祭管弦楽団のマーラー交響曲第三番の演奏だ。ちょうど半年前の大晦日に、ベルリンフィルの演奏会をテレビ放映していて「すごい」と書いた。その時の曲目は、メインが「展覧会の絵」だった。才気あふれるラトルの指揮とベルリンの演奏がマッチしているのも当然かとも思えた。

 今日聴いたのは、昨年のルツェルン音楽祭の録画だ。コンサートマスターは、コリア・ブラッハーだ。アバードが音楽監督をしていた時のベルリンのコンサートマスターだ。ブラッハーの演奏は、三月に紀尾井ホールでブラームスのコンチェルトの弾き振りを聴くことができた。その時もすごいと思ったが、今回のマーラーでもその存在感は圧倒的だ。この演奏を圧倒的と評するのは、技術が圧倒的なのを超えていて、「魂」を演奏者からも放出されることで「圧倒的」なのだ。

 指揮のアバードは、癌の手術をしてからの痩身は変わらない。見た感じではやや衰えがあるかなと見えるのだが、指揮を始めると生気がほとばしる、そのエネルギーは驚嘆的だ。共感と一言では言えない曲への同化を感じる。マーラーは、生涯「生」と「死」の意味を追い続けた作曲家だといわれる。その通りだと思う。生きることと死ぬことの意味は誰もが思い、誰もが結論を得られないのだろう。私もその一人だ。気がついたら生を得ていた。生きるしかない。この考えは贅沢と云われるかもしれない。しかし、気がついたら生まれていた、だけでは割り切れない思いもあるのが正直なところだ。

 マーラーの曲は自然に共感しながら聴くことができる。そして、演奏してみてもその感覚は同じだ。交響曲は一番から九番まで一貫した雰囲気で統一されている。ベートーヴェンとも共通するものを感じる。奇しくも最後の交響曲が九番だ。コーダの終わり方は対照的だが・・・。

 命を削るようなアバードの指揮、それにこたえる生気あふれるオーケストラマン、こんな表現があるかどうかはわからないが、まさしくオーケストラマンとしか言いようがない。その道に魂を持って仕事をする人を「・・・・マン」と、私は呼びたい。その人たちから生きる力をもらう。ここ最近多かった日常の煩わしさを一瞬忘れさせてくれる貴重な時間であり、貴重な映像だった。こんな演奏を聴けば、誰もがオーケストラが好きになるのに・・・とも思った。


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