徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百二十二段*<菩提樹、あふれる涙・・・>2008.6.6

 「冬の旅」の第五曲目と六曲目の曲だ。ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウの演奏を絶賛して前段に書いた。彼は何回この曲のレコーディングをしたのだろうか。私は、ピアノ伴奏者のジェラルド・ムーアの演奏と、イエルク・デムスとの演奏は少なくとも聴いている。録音された時の年齢の差はあっても、ディスカウの表現に大きな差はない。

 しかし、この62歳の時の演奏は、雰囲気が違う。声楽家としての晩年を迎え、それを受容しながらの「冬の旅」とでも言ったらよいのか。老境に達して、なおかつ青年の失恋の詩を歌う。すべて経験の上での表現が胸を打つ。

 「菩提樹」・・・泉のほとりに一本の大きな菩提樹が立っている。その菩提樹に語りかけるような詩だ。その菩提樹が私の心の拠りどころだったと歌い、菩提樹は、友よ、私の所においで、ここに君の安らぎがある、と答える。青年は恋人の住む家から遠くへ来る。それでも木々のささやきが聞こえる。「あそこには、安らぎがあるのだ」と思う青年の心情。木々には本当に魂が宿っていると感じる時がある。大木ならなおさらに。感受性の鋭い青年には、菩提樹のささやきが聞こえたのだろう。こんな思いは誰でもしたことはあるのではないか。

  「あふれる涙」・・・涙がとめどなく雪の中にこぼれた。この詩から始まる。その雪が熱い悲しみを吸い込んでいく。やがて、若草が芽を出す頃になる。やわらかいそよ風が吹いて、その雪も溶けてゆくだろう。・・・この後に青年の思いがほとばしり出る。「雪よ、私の願いを知っているだろう。私の涙の跡についてきてくれ。やがて小川がお前を迎えてくれるだろう。小川はやがて街の中に入り、私の涙が熱くなるのを感じるだろう。」なぜ涙が熱くなるのか?「ここに愛した人の家があるのだ。」・・・この言葉でこの曲は終わる。

 「涙が熱くなる。」この言葉だけで胸を締めつけられる。こんな思いを抱き、それを詩に表す。それだけでも、それぞれの思いを焚きつけられるのに、それにシューベルトがメロディーをつけ、歌曲集にした。「冬の旅」は、全24曲が若者の一途な思いと果たされない悲しみとで満ちている。人間のだれもが味わう、青年の苦しみと、憧れと、苦い思いを曲に託した。

 だからこそ、とおり一遍の表現では物足りない。そうだ、この演奏会でピアノを担当したハルトムート・ヘルは若いピアニストだ。ディスカウの演奏に若いエネルギーで応じている、というべきか。私は、彼のピアノ伴奏が好きだ。曲と曲との間の取り方が絶妙だ。クラシック音楽を苦手としている人がいたら、この「冬の旅」を聴いてほしい。全曲でなくていいのだ。「おやすみ」「菩提樹」「あふれる涙」「辻音楽師」の四曲はお薦めだ。

 悲しみの中に一抹の希望を持たせてくれる生涯の友になる曲集だ。



 百二十一段へ   百二十三段へ