徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百二十五段*<徒然なるままに…>2008.6.23

 徒然草・・・本当に徒然なるままに・・となってしまった。気を取り直してまた書くことにした。「徒然草」の更新がされていないとの指摘があった。その通りで、他からの指摘で気持ちが改まることもあることがわかった。この指摘は嬉しいことだ。己に関することを気にしてくれる人がいるということが分かること、これが私には必要なのだとも思った。他の人に必要とされない自分を確認したら・・・この対応は極めて難しい。

 二本のドラマを見ている。リアルタイムに見ることが少ないから、VTRが多いのだが・・・。

 「篤姫」と「チェンジ」の二つだ。「篤姫」は25回目となった。ドラマは人間の感情を表現していないものはあまり興味がわかない。現実にあってほしいのだが現実には実現が難しいこと、これが興味をもつドラマの私の条件だ。


 原作があり脚本があり、音楽もあり、フィクションと分かっていて見るのがドラマだ。「篤姫」では、西郷隆盛と大久保利通の最後には敵味方になるその大元を知りたかった。今回の中で、それを類推できることがわかった。篤姫と大奥での女性同士のやり取りはほとんど興味がわかない。女性は理解しがたいという自分なりの結論があり、男性も女性も同じ人間ではあるのだが、私の中では永遠にわかることのできない異種の存在といってもいい。で、西郷と大久保だ。西郷の無造作な一言、あるいは、本心を見せない姿を大久保が感じた時に、親友であるはずの西郷への見方が変わった。自分は心を許しているのに相手は心を許していないことを感じた時・・・失意がどれほど大きいかが分かる。

 「チェンジ」は面白く見ることができるように、スト―リーが誇張されているし、演出もいかにもという感じなのだが、今回は首席秘書官の葛藤が興味深かった。「補正予算が国会を通過したら秘書官を辞めます。私には私の生き方があるのです。」というようなことを口にするのだ。それを云っちゃあお仕舞いだろう?と私は思った。感情があるのに「やめる」と口にしたら悲劇だ。「辞める」の一言は感情を抜きにして使う言葉だ。「私には私の生き方がある。」と断言された時に相手はどう考え、どう対処するのか、それはドラマの展開しだいなのだが、私の中ではその一言ですべてが「終わり」だ。

 信じるに値する客観的な状況があるのにもかかわらず、裏切られることを言われたら、それは???の世界だ。私は一度口にしたこと、口約束でも約束したことは、それを果たしえない厳しい状況・・・つまり、死亡したとか、その約束を果たせない立場の急変があった、とか・・それ以外のことで約束をたがえることだけはしたくない。それは相手の心を傷つけるし、己の心にも禍根を残すと思うからだ。たまに、組織の長がその約束を反故にすることに出くわす。それが現実だとも思えるし、しかし、その約束をした人はそれで心に負担を背負わないのかと、そのことが不思議なことだ。

 「顔相」・・・これがすべてを物語る。百の言葉よりも「顔」がすべてを語る。ずるい人はそのような顔相になり、人を裏切る人はそのような顔相になる。びくびくして人の顔色をうかがうばかりの人は、そのような「顔」になるのだ。私は時々、鏡で己の「顔相」を見る。同時に他の人の「顔」を見る。




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