徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百二十七段*<想い出の断層−41− マツダ・キャロル>2008.6.29



 スバル360の次に乗ったのが、マツダのキャロルだ。水冷の四気筒、水冷は音も静かだし、何より真冬の暖房が温かかった。軽自動車なのに四ドア、四気筒のエンジンだ。この前のスバル360は空冷二気筒18馬力のエンジンだ。この差は大きい。リアエンジン、リアドライブ、後ろのガラスがクリフカットと当時言っていた、逆Rのスパッと切ったようなリアガラスだった。水冷はエンジン音が空冷とは違っていた。・・・しかし、この車をどうして乗れるようになったかは定かではない。長兄がまた買ってくれたのかも知れない。

 話は変わり、恩返しという意味で、私はいくつかの恩返しを済ませてないことがある。やらなくては・・・。長兄への恩返しはその第一に来るべきものだが、まだ果たせないでいる。

 キャロルにも思い出がある。後輪のドライブシャフトが落ち、道路にカランカランと転がっていく音がして、全く車が動かなくなったこと。たまたま近くのマツダのディーラーに駆け込んで、修理の依頼をした時の整備士が小学校の同級生だったこと。うまく修理をしてもらったこと・・・懐かしい。

 四人乗りの軽自動車と次兄の車と二台で、家族全員で成田山に初詣に行った帰りにパンクしてしまったことなど・・・昔の車にはハプニングがつきものだった。今の車は故障での修理なんてほとんどないが、昔は車には故障がつきものだった。だから、車の構造にも詳しくなってくる。いまの教習所には自動車の構造の試験もない。だからか、パンクしたらお手上げで誰かの救いを待つことになる。

 今までいちどもパンクの修理・・・つまりタイヤ交換をしたことがない人が近くにいる。若い時から、困ったら誰か男性が助けに行っていたのだろう。考えてみれば、誰かが自分を守ってくれていると思える人は幸せだ。

 マツダは東洋工業と名称を替えたり(どっちが先だったか?)、ロータリーエンジンの開発などでかなり名を轟かせた。今は、軽自動車は自社では作っておらず、スズキの製品を名前を変えてマツダの自動車として販売をしている。時間の経過はすべてに厳しい。

 いすゞが英国のヒルマンを輸入しながら自力で車の開発をし、日産はオースチンを日野自動車がルノーを販売しながらやはり自力での車の開発をしていた。ドアが観音開きの「クラウン」の初代が発売された。「スカイライン」はプリンス自動車工業のトップブランドの車名だったことを知っているのはどれだけの人数になってしまったのか。「プリンス」・・・このブランドはやがて日産と合併し「スカイライン」だけが残っている。

 「グロリア」「セドリック」「ブルーバード」「コロナ」「マークU」「チェリー」「パルサー」「スターレット」・・どれもが今はない。当時の時代を映してくれた車の名前だ。



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