徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百二十九段*<裕福は幸福?不幸?>2008.7.1

 スバル360とマツダのキャロルのことを書いた(百二十六段百二十七段)。当時のカタログの写真を付けた。二台とも何ともかわいらしく、キュートな車だと思わないだろうか。エンジンも車体も日進月歩で進化を重ねる。エンジン出力、ボディーの剛性、デザインの洗練さなど、どれをとっても今の車の勝ちだ。

 特に衝突安全性は、昔とは比べ物にならないほど高くなった。車での死亡事故数が確実に減少しているのがその証拠でもある。

 それを理解したうえで、なおかつ小さい馬力、狭い室内、よく故障をした昔の車が懐かしい。おそらく単なる回顧趣味ではないのだ。手のかかる子どもほどかわいい、という言葉もある。それと似たものか・・・手を加えてやれば元気にエンジンも動くが、手を抜くと途端に動かなくなるのが昔の車だった。

 変速機もオートマチックではなく、マニュアルがほとんどだ。バッテリーがあがってしまい、エンジンがかからなかった時には「押しかけ」だ。つまり、何人かで後ろから押して、少しスピードが出たところでギアを入れて、勢いでエンジンを始動させる。押してかける、から「おしがけ」と呼んでいた。ところが、オートマではそれができないのだ。ほとんどする必要がないくらいにバッテリーの性能も、雨天の影響も受けなくなったから、できなくても不便ではないのだが。みんなで押して、かかった時のうれしさの共有と、エンジンが微動だにしなかった時の「がっかり感」の共有がもはやできないのがさびしいかな、ということだ。

 人間の営みは、時代の変化があっても、得られるもの、失うもののバランスで成り立っているような気がする最近だ。食べて、居住して、着る物をきて・・・は、できないとこれも困るのだが、食べるのもありすぎる必要はないし、高額なものを着る必然性は薄いし、住むところも分不相応な邸宅に住む必然性はない。このバランスが極端に崩れると、かえって不幸になるようになっているのではないかとさえ思う。お金もなければ困るし、ありすぎるのも不幸な気がする。と書いたが、なければ困るのは実体験しているが、お金がありすぎて困った経験がないから断言ができにくい。

 お金がありすぎる経験がないことがもしかしたら不幸かも。いやこれも断言はできないのだ。せめて一度だけでも経験をしてみたい・・・これが本音だ。かなわぬ願いだが。



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