徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百三十一段*<想い出の断層−43− ホンダ・N360>2008.7.7



 三台目に乗った車がホンダのN360だった。エンジン前置き、駆動が前輪のFFという、今では小型車の主流であるフロントエンジン、フロントドライブの形式だ。スバル360とマツダキャロルがリアエンジン、リアドライブの形式だったが、エンジンとミッションを前部にまとめるFFに比べると、室内がそれほど大きくはとれなかった。ホンダは日本のメーカーの先頭になりFFの方式を採用した。

 このN360はホンダ技研工業が初めて作った四輪の自動車だ。スーパーカブやベンリー、ドリームという二輪のメーカーとしての地位を確保していたのだが、四輪車製造への挑戦だ。創業者本田宗一郎の大胆な決断は世間を割目させた。

 エンジンは空冷の4サイクル2気筒、馬力は30馬力くらいはあったように記憶している。室内も広いし、力もあるし、空冷のエンジンなので冬の暖房の効果が弱かったことを除けばなかなかの優れものだった。

 この車との別れはちょっと悲しいものだった。山梨県に旅行をしたときに、燃料ポンプが故障し、スタンドでプラグを外して点検してくれたのだが、点火プラグを取り付ける時、最初は手でねじやまに回しこんでいかねばならないのに、レンチで直に回していったものだから、ネジやまが崩れてしまった。

 その時からしばらくは異常もなく動いていたのだが、学校のクラス合宿に友人と遅れてこのN360で山梨県の西湖に向かっている途中、中央高速の河口湖インターの直前でプラグが外れ、もうネジやまが丸くなり、プラグを取り付けることができなかった。

 JAFを呼んで車を牽引してもらい、インターの外に出て高速の係員に訳を話し、その夜は車を置かしてもらって級友の男と一緒に途方にくれた。結局、周囲には当時で言うラブホテルしかなく、事情を話して男二人で泊めてもらった。ひとつのベッドしかないから、なるべく体を離して、幾分か緊張して眠った。

 翌朝、インターまで行って修理工場の人に来てもらい、車を見せたら修理は無理だと言われ、素直にその言葉に従ってナンバープレートを外し、車検証や保険証書を持って寂しくその場をあとにした。

 山梨で二回故障をし、車を失った。「やまなし」で「くるまなし」とは・・・
 しかし、若さの故かあまり落ち込んで居なかったような気がする。自分の好きだった人と付き合いだして、そっちにエネルギーが向いていたのかも知れない。少なくとも、車よりも女性の力が偉大だったということか。好きな人に比べれば車との別れなど小さい出来事・・・かな?



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