徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百三十二段*<想い出の断層−44− ホンダ・ライフ>2008.7.8



 七夕の日に、ホンダN360との別れのいきさつを書いた。後でホンダの修理工場に訊いたら、ねじやまは再度作ることもできるといっていた。なんだ、そうだったかと諦めが先についていて、車は学生から社会人になり自分で給料をもらうようになってからしか買えないな、と覚悟を決めた。当時、我が家に車は一台しかなく、免許を持っているのも同居人のなかでは私だけだった。兄二人は独立していたし、その兄の家族が実家を訪れたときの帰りの足が、私の運転する軽自動車だった。少し不便さを感じたことと、父が定年退職を前に自動車免許を取ろうとしていた時期と重なり、なんと父が中古の車を買うと言いだした。お金がないから当然、軽自動車の中古だ。

 その車は、N360の改良型で「NV」という名になっていた。基本のボディーは変わらなかったが、フロントマスクが少し変わり、一番変わったのが、エンジンが空冷から水冷になっていた。エンジン音も静かだし、何より冬の暖房がばっちり効く。赤のN360から白のNVになった。

 この車はよかったのだが、妹も免許を持ち、父も退職前に免許を取ってしまった。私も、いつまでも学生は続けられないので教職についた。実家には車庫もなく、近くの空き地を借りて駐車していた。我が家には三台の車があったことになる。私は、就職して間もなく新車を買った。相変わらず軽ではあったが。私が乗る四台目の軽自動車だ。名前はホンダ・ライフ・・・スポーツカータイプにホンダ・Zという車種があったがその流れを汲むものだ。エンジンが軽なのに凝っていた。キャブレター、つまり気化器が二つのツインカムエンジンだ。馬力は36馬力。360ccで36馬力だ。リッターあたりで換算するとリッター100馬力になる。高速で威力を発揮するエンジンだ。アクセルを踏むとすぐにタコメーターの針が反応し、そのレスポンスが気持よかった。

 初期のホンダの車では整備に困ることがあった。それはトヨタや日産のように整備工場はまだ整えられてなく、整備にも特殊工具が必要だったり、部品が自転車屋さんや二輪のお店にあったりで、部品の供給体制も不備だった。その結果、普通の町の修理工場では整備ができないことがあった。ホンダは本社直営のサービスファクトリー、ホンダSFを展開する。これも、やがては他の自動車メーカーと同様に、ディーラーが車の販売も整備もする形に落ちつく。


 自転車に原動機をつけた50ccのカブ号(これは父が乗っていた。当時は珍しかった)から始まったホンダのスタートだ。言うまでもなく今ではホンダは「H」のマークとともに日本を代表する大自動車メーカーだ。F1に参戦した日本の一番手だ。創業者の心意気を継承する雰囲気を車から感じることができるのは、初めて作った軽四輪・N360に乗っていた私としてもうれしいことだ。



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