徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百三十九段*<ライフワーク>2008.7.28

 フィッシャー・ディースカウが健在で、朗読の活動をしているとの記事を読んだ。うれしいことだった。バリトン歌手として、声楽の表現力の大きさを世に示した人だ。まさに巨匠だ。完璧な発声、詩の内面をえぐりだす表現力、彼を超えるものは過去にもこれからも現れないだろうとさえ思わせる。

 高齢になり、声楽家としては第一線から引かざるを得なかったのは、人間としてというか、生理的にも肉体の衰えは如何ともしがたいのだから、引退は避けられないことだ。しかし、引退して何もしないのではなく、朗読に活路を見出す。さすがだ。朗読を聴いてどれだけの人が心を潤されるのか、聴ける人がうらやましい限りだ。

 夏の高校野球で、茨城県の代表校になった常総学院の木内監督は77歳だ。甲子園での優勝監督としてもちろん有名だったが、一度引退して、今回再度の甲子園への挑戦だ。頭が下がる。77歳で再度の監督就任、それだけでも驚くが、今年も県代表になるとは・・・。県大会の決勝戦をたまたまテレビで見た。9回まで1点差で負けていたのに、9回、2アウトから同点にし、延長戦で逆転だ。プレイするのは選手であることはその通りだ。選手を育てる役目は監督だ。名将としか言いようがない。

 来年、早春に「指揮リサイタル」を行う予定だ。演奏家が日頃の研究や研鑽を発表する場として、リサイタルはよく行われる。指揮者は、演奏者のなかでは唯一自分で音を出すことのない特異な存在だ。リサイタルも当然、楽器の奏者の力を借りなければならない。指揮リサイタルと銘うって演奏会を開催できるのは望外の喜びだ。

 あるプロ・オーケストラ奏者の「指揮者は、曲の入りのタイミングの合図をしてくれればそれで十分だ」といった内容の発言を本で読んだことがある。「必要悪」という語句も使っていた。全面的に否定もできず、なるほど、と納得する部分もあった。現代の社会組織のように分業化がしっかりと確立されたなかでの指揮者の役割は、音楽表現のある「部分」を担当しているだけという側面もある。オケを振らせてもらっている、ともいえる。

 それを承知の上での指揮リサイタルだ。初めて聴くオーケストラ音楽の入り口にいる人に、オーケストラを楽しんでほしい。実は、合唱の演奏会も、同じ目標で開催する団体があってもいいのでは・・・と思っている。新作や実験的なプロでの演奏会はどこでもやっている。話題性のあるものに取り組むのも一つの識見であるし大切なことだ。

 そんな現状を踏まえながら、あえて、懐かしいとか、癒されるとか、よく知っている、とか・・・そんな感想を持つことのできる演奏会を開いていきたい。私の音楽への傾斜の始まりが、そんな素朴なきっかけだったことを思い出し、これをライフワークにしたいという願いでいっぱいだ。



 百三十八段へ   百四十段へ