徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百四十一段*<自然と音楽への愛と感謝>2008.8.4

 夜中になったが、郵便を出しに外に出た。夕方からの雷雨は上がっていたが、湿度の高さを感じさせる空気とともに、草木のにおいが外に満ちていた。樹木の多い林や高原などで感じることのできるものと同じ匂いだ。湿度が高いから雰囲気は微妙に違うのだが。それでも、そう感じることのできる緑の多い所に住んでいる幸せを感謝しなければなるまい。都内に出るための電車賃の高さとの代償で得た恵みというべきか。

 久しぶりに尾崎喜八の「音楽への愛と感謝」を読みだした。1974年の発行のものだから34年前の本になる。詩人としてのジャン・クリストフでありたかったとあとがきに書いている。音楽の美に装われながらも、文筆の仕事に一生を捧げたかったとも書いている。

 音楽の評論家でもなく演奏家でもなく作曲家でもなく、しかし、この本に書かれてあるものはなんと的確で、いやそれ以上に深く的を得ているのかと読み直すたびに思う。著者自身による朗読のレコードについていた、いくつかの詩が書かれた一枚を本の中に折り曲げて挟んであった。「田舎のモーツァルト」「かたくりの花」「ある音楽会で」「かけす」「秋の流域」「或る晴れた秋の朝の歌」「されど同じ安息日の夕暮れに」「冬の雅歌」「夜をこめて」「復活祭」「山頂」の11篇の詩だ。パレストリーナ、モーツアルト、オーヴェルニュのうた、バッハのオルガンコラール、オルガン、ヴィオラ・ダ・ガンバ・・・音楽への傾倒がわかるこれらの言葉・・・自然と音楽への愛と感謝だ。信濃富士見、安曇野、乗鞍、上高地、と地名を見ただけでもそこが今にも目に浮かんできそうだ。


 宇野功芳さんがこの本についての随筆を書き、それを読んだ私は、その本に書かれてあった土地をいくつか訪れた。若い時の、それも初めての土地は強烈な印象を残し、心も弾んだ。その時と同じ思いを今も感じることができるかと問われれば否と言うしかない。ただ、尾崎喜八さんや宇野功芳さんの書いた本を読み返せば、心が騒ぐ。まだ私の中に感動を求める炎があるということだ。

 仕事が忙しいといういかにも正当に思える弁解とともに過ごした時間があまりに長い。その後悔は強いのだが、時間を元に戻すことはできない。私がこれからどれだけ音楽と自然への愛と感謝の思いを確認することができるか・・・いまはそのことに思いを寄せて生活したいと思うのだ。




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