徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百四十四段*<世界のトップアスリート〜北京オリンピック>2008.8.21

 オリンピックが17日目を迎えた。陸上の決勝種目が目白押しだ。格闘技や室内での球技が多かった前半とはまた違った、独特の雰囲気をメインスタジアムに醸し出している。

 女子ソフトボールが決勝戦でアメリカに3対1で勝ち、金メダルを獲った。日本選手の成績でいえば、男子はあまりふるわず、女子が実力を出して結果をものにしている。精神力や思いや頑張りは、女性のほうが潜在能力が高いのだと十分納得できた。

 北京は日本との時差が一時間しかない。ほぼリアルタイムに競技を映像で見ることができるのも楽しみだが、現実にオリンピックの映像ばかりを追いかけることはできないのだから、ビデオか一日の総集編を夜遅く見るパターンが多い。

 スポーツでも音楽でも世界のトップの姿を見ると、ただただ感嘆するばかりだ。何の分野でも世界のトップだという事実は、まぎれもなく私を圧倒する。八月は、毎年高校野球が日本を沸かす。高校生のひたむきな姿や、何が起きてもおかしくない、奇跡の連続に胸を熱くする。

 しかし、さすがの高校球児のひたむきさも、オリンピック出場選手たちの圧倒的な存在感に、影がやや薄くさえ感じられる。見た目の身長や体重、体型を考えると、日本人ははじめからオリンピック競技にはハンデがあると思える。その中で、メダルを獲り、入賞をするのを見ると、その裏にある半端ではない「努力」に思いが馳せる。

 世界記録は常に更新され、人間の能力の限りなさや、常に工夫と研究と向上心を持っていることに、あらためて感心する。そんな競技の中で、人間らしさが表に出るのが陸上のリレーだ。一人ひとりのタイムがいくら速くても、バトンリレーでミスをすると、とたんに失格してしまう。まさにアメリカチームが、男子400Mリレーでバトンを渡せずに失格し、決勝に進めなくなった。走るスピードだけではどの国のチームよりも速いのに、バトンをリレーミスすると、とたんに失格とは。この現実の数字どおりにはいかないところが人間のすることらしく、結果に妙な納得感が得られる。

 それに比べると、格闘技の判定での結果には単純に疑問符がつけられる。そのひとつに、審判の技量の低さが挙げられる。柔道では「指導」のポイントを逆の選手に主審が課し、副審が訂正するという光景が何回か見られた。

 判定や点数での数字が決め手となるものには、審判、審査の人間の能力が否応なしに必要だ。それが担保されなければ、汗と涙の結晶を競技やコンクールにかけた人たちの努力は報われない。主催者側の見識や価値観が問われるところだ。さて、私の近い周囲ではどうなのか・・・。




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