徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百四十五段*<オリンピックから見えたもの>2008.8.24

 オリンピック、閉会式だ。日本選手の団長が二つ苦言を呈していた。
 マラソンの男子、女子ともに、欠場者がでた。その連携が陸上連盟と選手団長とでうまく機能せず、補欠選手も出せなかった、ということと、野球の選手が選手村には入らず、ホテルに滞在していたのは遺憾だということだった。

 結果を見れば苦言を呈されても仕方がないかな、と感じた。JOC自体が組織として機能していなかったともいえるし、陸上競技連盟や野球チームが所属する団体の統制が不十分だとの印象を持った。

 ”・・・委員会”という名称の組織は、意外にその実像が脆いという言い方ができるかもしれない。実効力がありそうで、なさそうで・・・。オリンピックのような国際大会で最近感じることだが、マスコミが金メダルや勝利の方程式を書きすぎる傾向にあることも如実に感じる。過大な評価を大会前や試合の前にしてしまうことは選手にとっても不幸だし、視聴者にとっても嬉しくはないことだろう。

 事前取材が十分になされれば、フェンシングのメダルの可能性を予測できたかも知れない。銀メダルを取ってからのにわかの報道だった。それに、オリンピックでは多くの競技が開催され、日本選手も参加しているのに、報道の時間や比重にバランスを欠いていたとも思える。

 資本主義社会では利益優先、一党独裁社会では個人よりも全体優先とか・・・どんな社会体制でも矛盾を抱えての現代社会だ。それは認めるとしても、あまりに拝金主義に走ったり、国家主義に走るのはどうかな、と疑問を改めてもった。

 人間が人間であることの証明でもある「こころ」を、いつでも物事の判断材料に加えることしか、バランスのとれた社会の機能を維持することは難しいのではないか。こう書きつつも、生きる術をもったもの、厚顔に生きる者があたかも人生の勝利者のように見えたり、他から過大な評価がされることを認めることはやぶさかではない。しかし、そう認識するたびに覚える、この索莫とした思いは何なのだと、無性に腹立たしくなってくるのも紛れもない事実だ。



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