徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百四十八段*<激しい、現代>2008.8.31

 最近、突然の雷雨に見舞われる日が多い。今日も夕方から夜にかけて、局地的な激しい雷雨が襲ってきた。鉄道のダイヤが長時間乱れるくらいの激しさだった。

 ベートーヴェンがいま生きていて作曲したら、交響曲第六番「田園」の第四楽章”嵐”はどのような曲になっていただろうか、と想像をしてしまった。
 恐らく、もっと激しい音楽になっていただろうとの想像はしやすい。まさかもとの曲より穏やかな音楽というのは考えにくい。当時とは全てのスピードが違うし、自然も様相は違うような気がするのだ。
 なぜか、現在の方が過激に出来あがるように思える。

 たまに終電車に乗ると、こんな遅い時間まで、よくぞ働いている、と、驚きと尊敬の念をもってしまう。多分、朝も早いのだろうし・・・。24時間・不夜城のような現代だ。その人の神経や体力は持つのだろうか?と余計な心配さえしたくなる。車両の半分くらいは寝ている。

 さて、田園のことを書いたのは、だれの指揮の演奏を思い出したのか?ワルター・コロンビア交響楽団か、田園といえば。
 だが、果たしてこの演奏のCDが今でも有るのだろうか?少しの疑問が残る。詩人の尾崎喜八さんの書物を買おうとしても、今では難しくなっていることを思うと、録音も同様かも知れない。
 これが現実の厳しさだ。

 私が合唱の世界でプロデュースしようとしていることは”忘れられない合唱曲”の演奏だし、オーケストラでも、初めてかあるいはオケを聴く回数の少ない人に焦点を当てたものだ。こんな企画は目にも止まらないかも知れない。目新しいものがないとの批判を受ければその通りだ。

 話題性や商業ベースに乗れないものは、自然消滅・・・か。

 はたして、これでよいのかとつくづく思う。



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