徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百五十段*<老衰、円熟、人生経験…?>2008.9.4

 ベートーヴェンの交響曲第4番・・・今度、指揮をする曲だ。久しぶりの曲になる。第二楽章が美しさの極みだ。若いころはいささか退屈な、ゆったりとした楽章でしかなかった。

 いまの感覚を、老衰と思うか、円熟と思うか、豊かな人生経験のなせる感覚と思うか…難しいところではある。

 老衰ではないのは、納得できる演奏がカラヤンとベルリンフィルの演奏だから、かもしれない。やや速めのテンポで、それがいかにも自然なのだ。同じCDに録音されている7番の第二楽章は、不自然な速いテンポに感じる。それに比べるとこの4番の自然なテンポ感はどこからきているのか。

 この説得力抜群の演奏に大きく寄与しているのが、管楽器のソロの雄弁な表現だ。これが、この演奏の最大の魅力だと私には思える。フルート、クラリネット、オーボエ、ファゴット、ホルン、これらの演奏者の技術の高さと表現力といったら・・・他の追随を許さない。

 オーケストラには、個人の技術がまず必要だと納得させられる。個人の技術を前提として、オケ全体のモチベーションや、モラルの高さや、団員の心の結びつきも必須の条件だろう。思えば、オーケストラも会社や役所と共通のものがあるということだ。

 人間同士で構成している組織の一つだ。おそらく大きな違いは、数字上の利益よりも、精神活動を伴い、精神の満足を聴衆に与える所か。製造業でも、良い製品を提供して、利益を上げるし、多くの人に喜んでもらう。それに携わる人は、その思いが強ければ良い製品つくりにつながるだろうし、最近多発している食品表示偽装や、欠陥商品の製造にはつながらないのだろうと思う。

 オーケストラの難しいところは、仮にルーチンな演奏をしても実害は及ぼさない、という点だ。人の営みだ、時には無気力な演奏にもなるかもしれない。恐れなければならないのは、それが日常化することだ。プロというのは、最大限の力を常に発揮できるのがプロだろう。それが、逆にプロだから、生業だから、時には手を抜く、というような思いを持つとしたら、その時点でプロとはいえないのではないか。

 ベルリンフィルの演奏を聴いたり、メンバーによるアンサンブルを聴いたり、テレビでの演奏を見て聴いたりするたびに、オーケストラマンの魂というか、プロ根性を感じるのだ。それは、それを感じる私にとっての命の水ともいえる、生きる喜びにつながる。



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