徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百五十一段*<この世に愛はあるか>2008.9.6

 ドラマのなかで、「この世界に 愛はあるの?」と何回か繰り返された言葉があった。おお、そうか、愛はあるのかと、自分が訊かれたかの様に考えてしまった。

 この世に愛があるなんてとても思えない、と思っている自分を発見した。

 世界に愛があるのかと問われたのか、人間に愛があるのかと問われたのか、いずれにしても人間の関わることには違いない。答えとして、愛があれば戦争や殺人や、食品偽装とか、いじめとか起こるわけがないよな、と思うのは短絡的だともいえるし、真実だともいえる。

 性善説と性悪説との比較にもなりそうだが、本当は、人間はほとんど動物と変わらなくて、弱肉強食の法則が当てはまるかも・・・。しかし、学習や、社会をそれとなく破たんさせずに生きることが必要だと学び、法の整備や、倫理感や道徳観を教えだし、かろうじて、秩序を維持しながら毎日の生活をしている。法律で人の心のすべてが制御できるはずもないだろうし、教育の力に疑問がある現在では、それにも期待はできないだろうが・・・。

 期待は「運」にあるかも・・・。不運だと不幸だし、幸運だと幸せ感を持てるかもしれない。

 実際は、努力しても努力しても報われない人がいるのが事実だと、世界を回り、ボランティアをしてきた人が言っていた。

 結果を得られる喜びはもちろん大きいし、そのために努力をしているのだといってもいいだろう。反面、結果が得られなくても、努力をしたその過程に満足感を持つというのも事実だ。そうでなくては、努力をする人は極端に減るだろう。

 やっぱり、お金か地位か、名誉か、そんなものかな、追いかけるものは。麻薬やドーピングで引っかかる選手は相変わらず何人も出てくるし、価値観や人生観があまりに多様になってきすぎている。その多様さが、己以外の者にも被害をもたらしているともいえる。殺人がその最たるものだ。これは許し難い。

 たとえ「志」を持ったとしても、金持ちイコール勝ち組では・・・この価値観だけでは「志」ともいえないかも。

 そうだ、テレビでお金持ちの豪華絢爛な住まいを、特集で放送するのもある。その価値観も、視聴率が稼げればOKなのか。情報量が多い媒体だけに、疑問も出てくる。

 やや自虐的に分析すると、その豪華さを妬む気持ちがあるかも・・・と思える自分を叱った。



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