徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百五十四段*<想い出の断層−48−>2008.9.13

 大学の文学部に入学したが、いま一つ講義に意欲がわかなかった。特に大教室でマイクを持っての講義には違和感があった。それに、それらの講義は大抵教授ご自身が書かれた本を購入し、機械的に講義を進める先生方が多かったような気がする。

 講義や授業の工夫という面や、研修の積み重ねという点では、高校、大学と上にあがるににつれて劣ってくるように思えた。今は違うのかも知れないが。

 学園紛争で大学は閉鎖され、混沌とした中での大学生活の中から、ふと音楽への思いが頭をもたげてきた。

 それから晩学の音楽への挑戦が始まる。音楽の学習の多くが技術の習得を伴うものが多いので、成人してからの私には厳しかった。それでも、少人数の尚美学院での学生生活は、充実していた。時々学院長自らが指導者となり、容赦のない叱咤激励をもらえるなんて、普通の大学生活では得られない貴重な体験だった。

 ちょうどその頃から、高校時代の仲間で合唱活動を始め、最初の演奏会を青山タワーホールでおこなった。一晩のプログラムを本格的なホールで指揮をしたホールデビューの時になる。

 女声合唱団コール・メーティス・・・懐かしくも想い出深い名だ。主宰のもと、一致団結の役員が中心になり運営をしていた。宇野功芳さんが指揮をしていたKTU女声合唱団が目標だった。心の歌を目指した。

 心の歌への思いは今も変わらない。時代が変わり人が変わり、いろいろな価値観が変わっても、心の大切さは変わらないはずだ。歌で表現するものは、心だ。心の歌への思いは生きている限り持ち続けるだろう。

 画家の奥村土牛氏が言っている。「芸術に完成は有り得ない。要はいかに大きく未完成になるかである」と。この言葉をひとつの支えとして、今の合唱団の指揮をやっていきたい。
 オーケストラの指揮が私の脊椎なら、合唱の指揮は私の脳だ。このふたつは生きるために不可欠だ。そして、心臓に当たるものは何か・・・。
 それを書くにはまだしばらくの時間が必要だ。



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