徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百五十七段*<想い出の断層−49−>2008.9.19

 台風が接近してきた。初霜や紅葉の徒然草を書いたと思ったら、すぐに台風に早変わりだ。今年は関東地方に接近した台風が少ないな・・・と思っていたら、そうは問屋がおろさずに、雨型の台風が近づいてきた。秋の運動会のシーズンでもある。秋の長雨や台風は不思議と週末にぶつかることが多い、ような気がする。

 学校は運動会や体育祭の開催判断に苦しむところが多いだろう。台風は進路やスピードが予想できるからまだ判断の迷いは少ない。秋雨前線の停滞による、長雨の時が一番困る。学校のスケジュールと睨み合わせながら、天に祈る気持ちで開催して途中降雨で中断も辛いし、早々と延期を決めたら、天気が回復した時も苦しい。この「苦しい」の言葉の意味には、苦情の対応が苦しい、という意味もある。

 どっちにしても、苦情が来るのは今の時代では当然だ。当然だと書いたが、判断ミスをあまり責められても、いかんともしがたいのも事実だ。苦情を言うだけにとどまらず、謝罪しろ、という要求もあると聞く。こんな要求を学校や学校長に突き付けるとは、、、心が荒んでいるとしか言いようがない。

 ところで、私が子供の時に住んでいた家は、借家で、台風や大雨のときには決まって雨漏りした。それも同時に何ヵ所もだ。両親と兄たちとで、バケツややかんや洗面器で雨漏りのところに置く作業をした。金の底に響く雨漏りの音が懐かしい。実はその音が出ているときは水が跳ね返っている音なので、畳を濡らさないためには新聞紙や手ぬぐいを置くのだと、そのうちに知ることになる。新聞紙は底に敷いても、しばらくは紙に跳ね返る水滴の音がする。その音も好きだった。金属音と紙の音だ。

 父親は、屋根裏に登ってトタン屋根の真下にバケツを置いたりしていた。小柄でよく体の動く父親だった。それを、下から見ている自分を思い出した。頼りがいのある父親だった。今は雨漏りもないし、頼られる要素が減ってしまったと思う自分は、やはり父親には叶わないのだと妙に納得できる。精神の強さ、包容力、責任感、とどれも劣っている。勝るものは何もなしと実感するのも情けないのだが、受け継いだ正義感が少しは残っている。この正義感をどう使うか・・・これが実は難しく、私の課題でもある。そうだ、父は温厚な人だが、感情をむき出すときには半端ではなかった。それを思い出すと、それも受け継いでいるかも知れない。時々出るこの感情の高ぶりを、どうコントロールするかということも私の課題だ。父を思うと課題が次々と出てくるような気がする。



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