徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百五十八段*<金賞>2008.9.21

 金賞、銀賞、銅賞・・・コンクールの賞のことだ。夏から秋は音楽関連のコンクールが数多く開催される。コンクールというからには賞が付き物だ。

 コンクールの主催者によって賞の名称も違う。これは当然だ。最優秀が一つだけだったり、優秀は複数あったり、さらに優良があったり、佳良があったり、金・銀・銅で賞を出したり、わかりやすいのは一位とか二位とか三位とかの表現だ。

 意外に紛らわしいのが、金賞・銀賞・銅賞という賞だ。オリンピックの金メダルや銀メダルとはちょっと違うケースが多い。オリンピックの金メダルは一位の選手や団体にしか与えられないものだが、音楽では、金・銀・銅が複数与えられる。つまり、金賞は金メダルとは違うのだ。

 さて、困るのは銅賞の存在だ。コンクールによっては三位の意味での銅賞があり、それはわかりやすい。全体の三位だ。銅メダルと同様だ。おめでとうと、讃えたいし、受賞者もうれしいだろう。ところが、微妙なのは、全出場数の中をおおよそ三つに等分し、すべての出場団体(者)に金賞、銀賞、銅賞を授与する場合だ。何が微妙かというと、銅賞がおめでとうとは言えずに、残念だったね、という賞になるということだ。

 これが、主催者によっても変わってくるので、報告を受けた時の言葉のかけ方に困ることもある。ある人から「銅賞でした」と言われて、「そうか、残念だったね」と返事をしたことがある。本当は、そのコンクールでは純粋に三位の銅賞だから、おめでとう、とまずは言うべきところだったのだ。

 昔からの流れだと、おそらく金が一番貴重な鉱物で、次が銀で、次が銅だったのだろう。それで金メダル、銀メダル、銅メダルとなったと思うのだが、晴れがましい三つの賞も、最近の表彰の様子は、なるべく多くの団体(人)に賞を授与してあげたいという主催者の配慮からか、すべてに金・銀・銅賞を与えてくれることが多い。

 それも一つの判断だと思う。しかし、ほかの判断があってもいいだろう。

 ある音楽団体の長が、時の内閣総理大臣・吉田 茂氏に内閣総理大臣賞の申請に行った時に、首相に聞かれたそうだ。その賞は全国でいくつ出すつもりか?と。会長は、全国でひとつです、と答えたそうだ。首相は、それならわかった、と言ってくれて内閣総理大臣賞を出せるようになった、と。これはその会長さんから直接聞いた話だから真実だ。

 そんなことを考えながら、金賞は一つが妥当かな、と考える。そうなれば「ダメ金」とか「銅という字は、金の隣に同じという文字をつけて銅と読ませる、だから金と同じ・・・」なんて、ちょっぴり悲しい表現はなくなるのではないか、そのほうがすっきりするのでは、と最近思うのだが・・・。コンクールの結果報告を聞いて感じたことだ。



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