徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百六十段*<「心」を忘れた日本人>2008.9.23

 ある音楽雑誌で音楽評論家が、ウィーンフィルとチェコフィルのことを書いていた。両オーケストラが初来日した時の演奏を回想し、最近の演奏との違いを指摘していた。なるほど、と納得できることが多かった。


 たまたま、二つのオーケストラのことが書かれていたのだが、それにしても公演予定などを目にすると、相変わらず外国の音楽家やオーケストラ、オペラが日本に来て公演する回数が多いな、と思った。そして、押し並べて入場料が相変わらず高額だ。需要と供給の原則から考えるとそれが成り立っているのだから、高額との批判を容易くはできないだろう。言い方を変えると、私に限ってはすこぶる高額に感じる。

 情報の速さや、飛行機での移動のスピードを考えれば、ローカル色よりもインターナショナル色が強くなるのは自然のことといえる。しかし、日本に住んでいる私からすれば、外国のオーケストラからは、やはり、私達に無い独特なものを聴きたいのだ。それが叶わずに、しかもチケットが高額とくれば、足を運ぶのがつい億劫になるというものだ。

 さらに拍車をかけるのが、勇気を奮いチケットを購入しようとしても、これがなかなか難しい。要するに、予約の電話がずーっとつながらず、ようやくつながったと喜んだときにはすでに、完売・・・。その理由は思い浮かぶのだが、ここでは書くまい。

 島国、日本だからこその外国のものを吸収したい気持ちや、崇拝する気持ちが、鎖国から開国、幾度かの戦争などで、いつのまにか強く根付いてしまっているのだろうか。

 テレビで、規制のない河川敷で夜中まで騒ぎまわる状況をレポートしていた。何の反省もなく、近くの住人に思いを巡らすことのできない、その状況を見ていて気持ちが萎えた。隣人を思う気持ちや、長幼の序や、遠慮などの心はどこに行ってしまったのだろうか。

 勝 海舟は言ったそうだ。下等な人間は力で人を動かそうとする、上等な人間は心で人を動かす、と。「心」を忘れた人間は、どこに行きつくのだろうか。大金をはたかないと入場券が買えないこと、外国崇拝とも思えるような音楽界、音楽から外に目を向けても、弱肉強食、格差を思わず感じさせる現状、さらに「心」を感じられない一部の社会現象・・・雑駁でももろもろのことを考え合わせれば、先行きは見えにくい。

 このところ、連続で幼児が無残にも殺された。命の重さが感じられない世の中になってしまった、か。



 百五十九段へ   百六十一段へ