徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百六十一段*<「心」を感じる演奏>2008.9.24

 昨日、オーケストラのローカル色について少し書いた。ローカルという言葉が適切でないとするならば、個性というか、そのオケの歴史や風土の違いを、国内に居ても感じたり味わうことができるのが、交通網が世界中に行きわたった現代の利点だと思うのだが、その色が薄れているとすれば・・・?・・・だろう。

 つまり、それでは生の演奏がCDの録音と変わらなくなるということにもつながるし、多彩な人間の存在や自分と違う存在を認識し、認めていくという、グローバルな視点を持てないということにも繋がってくる。

 例にあげたバンベルク交響楽団は、超絶技巧を誇るオケではない。単純にうまいオケは他にもあると思う。

 それはそれとして、バンベルクの良さはまた他にあるのだ。もちろんプロオケだ。表現に不足のない技術の裏付けもある。その上での渋い、いぶし銀のような持ち味を認めない訳にはいかない。それに全力の演奏の姿も。

 重要なのはその心意気だ。感動には真のプロとしての意識と、演奏が不可欠だ。人間の集合体であるオケは、特にモチベーションの維持が不可欠だと思う。

 時折、ルーチンと思えるようなプロの演奏家の姿を見ると、どうかな?と首を傾げる。どんな指揮者との演奏でも、一応はベストを尽くしている姿を見せるのがプロだとも思えるのだが、考えようによってはきれいごとかも知れないし、心の持ちようにも関わることなので、結論は難しい。

 しかし、文化の生産者だと考えれば、ひとつひとつの工程はおろそかには出来ないだろう。つまり、ひとつひとつの工程の結実が一つの製品を生み出す、という考え方も出来るだろう。それをおろそかにしては良い製品を産み出すことが出来ないということだ。

 音の奥に潜む、演奏者と作曲家の精神を聴きたい。私はそう思う。音響を聴きたいのでもなく、ネームバリューで満足をしたいわけでもないのだ。

 渋い響きだが、心を感じたバンベルク交響楽団の演奏を思い出す。それに、エグモント序曲を初めて聴いたのがケルテス・バンベルク交響楽団のレコードだ。いまCDで聴けるのがかなり嬉しい。



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