徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百六十四段*<ギドン・クレーメル>2008.9.28

 ギドン・クレーメルの演奏を聴いた。テレビでのことなので、見て、聴いた、というべきか。相変わらずの鬼才ぶりに感心した。

 暖かな感じが心地よかった。表現もさることながら、ヴァイオリンの音も美しい。音楽の表現には、美しさがどうしても必要だと思う。美しいだけでもダメなのだが、美音は必須ともいえる。

 このことは、断言はできないのだが・・・。ヨゼフ・シゲティは必ずしも美音とは言い難く、卓越したテクニックを誇っていたわけではない。しかし、そのバッハの演奏は十分感動を与えてくれる。

 クレーメルは、精神性と音楽性と美音を併せ持って表現できる類まれな人だと思う。それにさらに加わったのが、暖かさだ。

 ヴィヴァルディの「四季」のVnソロをレコードで聴いたことがある。確か、クラウディオ・アバドの指揮だった。その時の、シャープな音と、一点の弛緩のない演奏に驚いた。

 天才、と呼ぶにふさわしいと感じた。天才は表現がわざとらしくは聞こえないのだ。異色の表現をしていても、それが自然に感じられる。これが、天才の表現ではないかと思う。

 バッハでもピアソラの曲であれ、いかにも自然に弾く。まるで自分の音楽であるかのように・・・。

 音楽の世間の評価が、クラシックの世界でも、実力と人気が整合せずにあたかも人気商売のように思えることが多い中、クレーメルの存在は貴重だ。会場の神奈川県立音楽堂が満席のようだったことを思えば、わかる人は、やっぱり、わかるのだな、と少し安心をした。



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