徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百六十五段*<音楽誌の行方…。>2008.9.30

 前回の徒然草でギドン・クレーメルの演奏の印象を書いた。ヴァイオリンと言えば、読売日本交響楽団のコンサートマスター、藤原浜雄さんの演奏がすごいと思ったことがある。ある音楽月刊誌の付属のDVDで見て、聴いたときに、すごい、と思った。バッハの無伴奏のソナタの一部と、パガニーニのバリエーションだったと思う。集中力と、精魂一体の演奏に酔い、ただ感心するばかりだった。

 その演奏を聴く機会を偶然与えてくれた音楽月刊誌には、感謝をしなければならない気持だ。ただ、残念なのは、今年度から編集の方針が変わったとのことで、付属の音盤と演奏会案内の別冊がなくなってしまった。読者層をハイグレードに絞ったかの様な中身になってしまった。生活自体がローグレードの私には、この月刊誌が少し遠い存在になってしまった。

 クラシック音楽関係の月刊誌や季刊誌がいくつもあるので、それぞれが特化していくのは時代の要請かとも思う。そういえば、演奏会情報に特化した月刊誌は無料配布だ。おそらく部数を伸ばしているのだろう。歴史を誇る「音楽の友」や後発の「音楽現代」はどんな編集方針をこれから志向するのだろうかと気になるところだ。

 クラシック音楽総合誌と、楽器ごとの定期刊行誌(ストリングスやショパンやフルートのような・・・)と、音楽会情報を満載した「ぶらあぼ」のような紙面の三種に分かれていくのかとも思っている。音楽総合月刊誌はなかなか厳しいかも知れない。専門的になりすぎても、音楽愛好家になったばかりの人には困るし、平易になりすぎると逆の意味で困るし、前述の誌面のように、急に海外演奏家や海外の演奏会紹介が増えて、国内の情報が急に減っても、あてにしていたものとしてはそれも困るし・・・と、悩ましいことだ。

 執筆者が限定されてしまうのも、読む前から、音楽会の評論など予想がついてしまい、これも私には困ることの一つだ。

 音楽月刊誌などは、昔から小規模の書店にははじめから置いてなく、注文か大きな書店でしか直には手に入らなかった。今でもその傾向はまだ残っているように思える。これも需要と供給の関係からすると当然のことか。そんな不便さを感じながらも、私にとっては、これらの本がこの上ない刺激と活力を与えてくれる貴重な存在であることを認めないわけにはいかない。




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