徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百七十四段*<教師の熱意>2008.10.22

 今日は、ある小学校に合唱指導の手伝いに行った。来月にある音楽発表会に向けての学年合唱の練習だ。

 海に近く、閑静な雰囲気の、100年以上の歴史を持つ学校だ。

 百人余りの5,6年生が待っていてくれた。間に休憩を入れて、約2時間の合唱練習だった。集中力の高い子どもたちに感心し、感動した。それに指導の先生が声作りを確実にされていた。きけば、音楽専科ではなく学級担任の先生だ。しかも、専門に音楽を学んできたわけではないという。

 もちろん、音楽が好きだとのこと、そして、都内に出た時は二つの演奏会を一日に聴いて帰られるという、この熱意とエネルギーにまた感心をしてしまった。

 教師の力というのは、好き、と熱意、この二つで作られているのかもしれないと思った。たまに、ルーチンな仕事ぶりと思わせる教師に出会うこともある。それでも教師といえるし、時間と力を子どものためにそそぐ先生も同じ教師だ。個人差があると思えれば思えるし、だが、教師から指導を受ける子どもの立場になってみると、どっちが恵まれているかというと答えは明白だ。

 合唱するという行為は、意外とごまかしがきく。つまり、多くの中の一人だから、目立たなく手抜きができるということでもある。要するに、どう取り組むかはその児童、生徒一人一人の心の持ち方にかかってくる。周りが必死になっているときに、一人だけ手抜きをするには逆の意味で勇気がいる。みんなが手抜きをすればそれが当たり前になって、その中で声を出すなんてとてもできなくなる。合唱が全員でできる学級はまともな価値観が成立する学級だ。手抜きが横行する学級は価値観がゆがんでいるといえる。学級から学校という範囲に広げても同様だ。

 今日の素晴らしさは、指導の先生の熱意、実践の積み重ねの確実さ、担任の先生の協力、それに、実際に声を出し合唱する児童、それらが調和を保ちながら、さらに高みを目指しているという点だ。

 熱意があり、かつ柔軟で、謙虚な教師との出会いは楽しい。それに充実感や満足感も与えてくれる。少しだけ汗をかきながらの二時間はあっという間に過ぎ、終わった後に児童の一人が「ふうっ、倒れるかと思った・・・」と漏らしていた。さらに、嬉しさが増した。



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