徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百七十六段*<舶来崇拝?>2008.10.25

年末年始の音楽会の種類のことだ。前の段で、配られるチラシの中から、新年にはシュトラウスの作品の演奏会が多く、それも「ウィーン・・・・・」という、とにかく「ウィーン」を名称とした海外のオーケストラの演奏会がメジロ押しだと書いた。

次に多いのが「第九」のチラシだ。これは在京のプロオケだと、都内で大体6回くらいの演奏会を持つ。都内だけでも仮に六つのオーケストラが同じような回数で「第九」を演奏すると、12月20日から28日を目安として、約10日の間に36回も「第九」の公演があることになる。

昔、オーケストラが団員のボーナスを支給するために年末に「第九」を演奏し始めた、という話を聞いたことがある。我々、日本人が「第九」を好きなことは間違いないだろう。これだけ多くのオケが「第九」をやるのだ。客席が埋まるのを毎年経験しての、毎年の年末行事のようになっている。これが全国でも開催されるとしたら、どれくらいの数の「第九」になるのか。

海外では、年末の「第九」という習慣はないと聞く。海外の指揮者は「第九」を指揮する機会が少なく、日本人指揮者は「第九」のスペシャリストともいわれる。その中にあっても、日本人の心の中に舶来崇拝のような面が残っているかな、と思うのは、独唱者をわざわざ海外から招聘する「第九」をみるとそう感じる。実力を伴った歌手なら納得だが、演奏を聴くと???と思うこともままあり、これなら日本の声楽家のほうが力があるのに、なぜ、海外から?と思ったりもする。

日本人は、様々な能力に長けているし、勤勉といわれる国民性もあるし、多くの人がそれは認めるところだろう。ただ、西洋音楽に関しては、少しコンプレックスを持っているかもしれない。島国だし、明治になるまで西欧の音楽を知らなかったという事実もある。

しかし、もうそろそろ日本人の感覚の鋭さや、繊細な神経の鋭さに自信を持ってよい頃ではないのか、と思う。世界で活躍している日本人の演奏家がたくさん出ている。オーケストラのレヴェルも世界に決して引けを取らない。日本のプロオケには年々、国外の人たちが団員として加わる人数が多くなってもいるのだ。聴く側に、海外崇拝の精神が残っていると、なかなか日本人の音楽家が育つのが難しくなる。単純に言えば、日本人だろうと外国人だろうと、優れている人は優れているし、ダメなのはダメなのだ。

多彩な表現形態の音楽を楽しみ、いろいろなジャンルの音楽を聴ける・・・これが成熟した音楽文化だと思うのだが・・・。日本に海外から人を呼べば金額も高くなるし、おおよそ、演奏レヴェルが変わらないとしたら、日本人の演奏を楽しんだほうがいいと思えるのだが。海外ブランドに飛びつく日本人には、それは意外に難しいのかも。ニューイヤーコンサートと「第九」に向かう同一指向性は、聴衆の獲得という狭い意味ではいいことなのだろうが、本当にそれでいいのか?という疑問もわいてくる。




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