徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百七十九段*<想い出の断層−58−>2008.11.2



 中学生、高校生、大学生の時の記憶や印象が意外に強く今も残っている。前段に書いた指揮者のコンヴィチュニーもそうだし、オットー・クレンペラーもなぜか忘れられない。

 ところが、クレンペラーの指揮のレコードやCDは一枚もないのだ。ラジオで聴いたのと、新盤の案内カタログやレコード芸術などの評論などで目にしたものしかないのに。

 放送で聴いた印象は、やはりコンヴィチュニーと似ており、悠々迫らぬ、スケールの大きい、堂々とした恰幅を連想させるものだった。ベートーヴェンとなるとクレンペラーの演奏を聴いてみたい気持ちに駆られる。ベートーヴェンの何曲かのシンフォニーと「シュテファン王」序曲がカタログに載っていた気がする。最後の録音になるのか「荘厳ミサ曲」も見た。聴いたではなく、見たと書くしかないのが辛いところなのだが。

 お金がなかったのが厳しい現実だった。今もあまりそれは変わらずに、お金は乏しいままだ。ただし、今のお金の無さと当時のお金の無さは、「ない」というレベルが違うと感じる。情けないくらいにお金がなかった。レコードを買うのにも一大決心が必要だった。

 だからこそ、ラジオやテレビのクラック音楽の放送が、音楽への飢えを補ってくれる貴重な音源だった。NHKで放送するN響の演奏はもちろん、ラジオは文化放送か、テレビはフジテレビかで定時番組として放送していた日本フィルは身近なオーケストラに思え、そのせいか、後に定期会員になった。

 オットー・クレンペラーは、具体的に判断できないくらいの情報しかない。それなのに、なぜか憧れているのだ。本当にいま、レコードかCDで耳にするとどんなふうに思うのか・・・

 録音状態を考えると、音質としては期待できないだろう。音の中に作曲家と指揮者の精神を感じ取ることができるか、テンポは遅く感じるのでは・・・とか、ちょっと胸が高鳴る。オケはフィルハーモニー・オーケストラだろう。エンジェルレーベルだった。赤いレコード盤のころか、とすると、音はだいたいこんな感じか…とか、想像が膨らんできた。

 パイプをくわえた、眼鏡をかけた、鼻の高い、厳しそうな横顔のレコードジャケットが目の前に浮かんできた。何人もの指揮者のレコードがあり、ベートーヴェンのだと、なおさら同じ曲で、何種類も聴き比べができるほどのレコードを持っているのに、クレンペラーがないというのは、今になって悔やまれる。さて、どうやって音源を手に入れるかだ。



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