徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*十八段*<想い出の断層−9−>2007.11.15

 演奏会の記憶は不思議なものだ。

 特に何年も前の記憶はとりわけ印象深いところだけが残っている。記憶とはそんなものだともいえようが、今でも思い出すものは脳が記憶しているというより心が記憶していると言った方がいいかもしれない。演奏会のプログラムがあれば正しく思い出せるのだが、学生の時に行くことができた演奏会では、来日オーケストラのプログラムを買うお金の余裕がなかった。プログラムの価格も当時はすごく高いように感じた記憶がある。めったに海外のオーケストラの演奏会に行けない学生にとってプログラムの購入はちょっぴり寂しくもあり厳しい現実だった。

 パリ管弦楽団の思い出を記そう。バレンボイムの指揮での演奏会だが、記憶に残っているのはフルート奏者だ。ミッシェル・デボスト、パリ管弦楽団の主席奏者だ。このときのアンコールがビゼーのカルメンから間奏曲。大部分がフルートソロの曲だ。楽器が鳴りきり、息の長いフレーズの歌い方が抜群だった。パリ管弦楽団の濃紺の燕尾服にエンジの蝶ネクタイの服装と合わせて記憶に残る。(この服はピエール・カルダンのデザインだとか・・・。)デボストはソリストがたまたまオケの団員だったと解釈をしたほうが良いくらいの存在感を持っていた。思えばジュネーブの国際コンクールで三位だった人だ。因みに、この時の一位はマイゼン、二位が日本の加藤恕彦、そして三位がデボストだったと記憶している。加藤恕彦はこの後、モンテカルロ国立歌劇場のソロフルーティストとして迎えられたが、アルプス山嶺のモンブラン登山中に消息を絶ってしまう。
 オケの中でのフルーティストは目立たないように調和を第一に吹いている演奏家が多い当時の状況から考えると、デボストの存在感は偉大だった。今思えば、テュッテイの中からもフルートの音が抜けて聴こえるジェームス・ゴールウェイやエマヌエル・パユなどの存在があるのだが、当時の私には信じられない思いだった。

 何段か前に書いたホルンのT君に今日会った。ショルティ・シカゴ交響楽団の来日演奏会の話になり、彼も当日の演奏を聴いていたことがわかった。そしてメインプロがマーラーの五番のシンフォニーだということもわかった。同じ会場の東京文化会館にいたことも。彼とは何十年来の付き合いなのに、ショルティ・シカゴの話は初めてしたことも今日分かった。

 心の友ともいえる彼と飲み、食べ、話すことは無類の楽しさだ。

      
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