徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百八十段*<想い出の断層−59−>2008.11.7



 ブルーノ・ワルター・・・私の運命と未完成の原点だ。なぜか、レコードがよく出ていた。ワルター指揮・コロンビア交響楽団の演奏だ。「運命」と「未完成」交響曲の組み合わせ、この組み合わせがレコードのA面、B面の定番だ。コンチェルトでは、メンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲がこれもお決まりだった。

 クラシック音楽、特に交響曲と協奏曲の入門曲としてまさにぴったりだ。曲に名前まで付いている。そしてこの二曲と言えば、ワルター・コロンビア・・・コロンビア交響楽団はワルターとの録音用に臨時編成されたオケだ。ニューヨークフィルの楽団員を中心に編成されたとか、いくつかの説があった。確実性の高いのは、映画音楽などを主に演奏していたスタジオミュージシャンが集まったオケだとの説だろう。

 私の中では、ワルターはあまりしっくりとなじめた指揮者ではなかった。表現が人工的に聴こえたし、運命の動機をかなり長くのばし演奏していたのも、どうかな、と感覚的に思っていた。

 レコード会社はずいぶん力を入れて売り出していた。特にモーツァルトの交響曲などは、ワルターこそがモーツァルトの神髄だと言わんばかりだった。このモーツァルトも私には疑問符のつく演奏だったのだ。

 最近CDで「運命」を聴いてみた。やはり印象は変わらず、疑問符がついたままだ。コロンビア響の演奏もCDで音がクリアになった分だけ、さらに粗さが目立って聴こえる。

 ワルターの名演を挙げるとしたら、「田園」とマーラーの「巨人」に尽きる。田園は、運命とは別物と思えるくらいに自然な表現で説得力がある。「田園」は指揮者にとっては難曲だ。標題が作曲家自身の手で各楽章についていて、交響曲だが標題音楽でもあり、情景や気分を表現しなければならない。その割には劇的な展開が少ない・・・指揮者泣かせの曲だ。しかし、ワルターは、あたかもそうなるべし、と思わせるような表現をしている。

 「巨人」も表現がいかにも自然で、曲への共感や、マーラーとの交遊も想像できる仕上がりだ。この二曲とも、ワルター後にもちろん数多くの指揮者とオケが録音をしている。その多くの中にあって、現在でも抜きんでた演奏だと認めざるをえない。

 前段の徒然草のオットー・クレンペラーを見た方から、音源のCDの提供をいただいた。クレンペラーのベートーヴェンの演奏については、後日ここに印象を書いてみたい。



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