徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百八十一段*<想い出の断層−60−>2008.11.11

 この徒然草に登場する指揮者の名前は、私の中学、高校、大学まで、つまり主に十代の時に印象が深かった人達だ。直接、指揮を見て生演奏を聴いた人はごく少ない。テレビの映像か、ラジオの音か、印刷された文や写真からの印象だ。

 それでも、何らかの理由があり、今でも記憶にかなり鮮明に残っている。コンヴィチュニーやクレンペラーのことを書いたのは、演奏の評論やその是非を書いているのではない。記憶をたどり、いま自分が指揮をする側になっていることと照らし合わせて、残っているイメージを指揮に生かしたいのだ。

 一世を風靡した指揮者には、それ相応の理由があるだろう。それは私の歩みの原点を見つめ直すことでもあり、原点を見つめ直してから、あらためて己の指揮者としての再スタートを切るべきだと思ったからだ。

 ネットでは、様々な情報が手に入る。それぞれの領域に非常に詳しく、また研究されている人がたくさんおられることに今更ながら驚きもし、感心したり、どうかな?と思ったり・・・いろいろだ。

 さて、近々、指揮をするということで、私の学習のために聴いた、コンヴィチュニーとクレンペラーの指揮の感想を少しだけ書きたい。
 どの版を使っているか、どの楽器の音を変えてるか、などという観点では、また違う人が充分に研究をして評価をしてくれるだろう。すでにされているというのが正解か。

 ここでは十代に抱いたイメージと今聴いたクレンペラーの演奏とが、ほとんど同じだったことと、安心といくばくかの驚異とを持って聴いたことを書かねばなるまい。知識や経験が乏しく、ただクラシック音楽に惹かれ、やみくもにラジオやテレビの音楽番組を聴きあさっていた時の印象だ。

 感覚は時間を越え、印象は深く刻まれる、と思った。こういう時が人を好きになれるときでもあり、私が私を肯定できる数少ない瞬間だ。

 クレンペラーの指揮でのシュテファン王序曲のシンフォニーとの組み合わせが、私の記憶が正しく、いま発売のCDのジャケットにも、それがそのまま使われており、しかし実際に収録されているのは別の曲の組み合わせだということを発見した。これも、レコード会社を非難するつもりはなく、ちょっとうれしくなる発見だった。



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