徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百八十二段*<想い出の断層−61−>2008.11.14



 このところ指揮者の思い出が続いた。あこがれの存在の指揮者、遥か高みにいる別次元の存在として、夢のような人達だ。

 ジャン・マルティノン・・・高校生の時、音楽の友誌のグラビア一面で本番の指揮をしている姿の写真が格好よかった。NHK交響楽団を指揮した時のものか。
 テレビでも指揮を見た。その時はスマートな指揮をする人だ思い、熱演型というよりクールさを感じた。

 シカゴ交響楽団がフリッツ・ライナーを亡くし、その後任にマルティノンがなった。ライナーが長期にわたり監督を務めたのに比べると、確かマルティノンは五年でその座を去っている。

 日本での評価は、最初は高かった。春の祭典か幻想の時のリハーサルを暗譜でやったとか・・・話題になったような記憶がある。ただ、飽きられるのも早かった。
 私はその理由が解らないでいた。その後フランスのオケで幻想交響曲をレコーディングしたのを興味深く聴いた。第二楽章にコルネットを用い、音も追加された楽譜を使っての演奏で、その部分が新鮮だった。なるほど、オケではあまり使われないコルネットだが、柔らかく明るく響くその音は、フランスのオケの音色ともマッチしていた。

 ただ、演奏全体からの記憶はあまり残っていない。マルティノンの師匠格のシャルル・ミュンシュがパリ管弦楽団を指揮しての幻想は、圧倒的な説得力をもって記憶に深く刻まれたのとは対照的に印象に残らなかった。

 マルティノンはこんな感じの指揮者かな、と何となく醒めていた私に衝撃的ともいえる演奏が登場した。ウイーンフィルと録音したチャイコフスキーの悲愴がそれだ。英国デッカの鮮明な録音とあいまって、最高の悲愴の演奏だと思った。この評価は今でも変わらない。

 個人的には、ウイーンフィルの演奏はピッチの合わないことや、アンサンブルが乱れるものを聴くことが多く評価が低いのだが、この演奏は別物だ。当時のマルティノンの話では、何人かの指揮の候補があったのだが、うまく話が進まず結局自分のところに悲愴の録音が回ってきたとのことだった。悲愴はこう演奏すべきだと得心がいく。
 メランコリーな弦楽器の歌い方、金管の咆哮、ピッチは?だが、打楽器の迫力、どれも感動だ。

 指揮者は、出来栄えにムラのある指揮者とコンスタントな演奏をするタイプとがあるようだ。マルティノンはもしかしたらムラのある方なのかも知れない。この悲愴は、今では廉価版のCDで購入出来るのでは・・・と思う。悲愴が好きな人には是非聴いてほしい演奏だ。レコードジャケットが豪華で、表の彫塑が少し立体的な凹凸を持った一味違う高級な厚手のジャケットが忘れられない。



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