徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百九十四段*<義>2008.12.16

 師走も半ばを過ぎてしまった。14日は赤穂浪士の討ち入りの日だった。江戸時代に起きた討ち入りが、今でも多くの人の共感を呼んでいる。君主と藩士のつながりの深さか、幕府の裁きへの異議申し立てか、かなわぬまでも絶対の権力者へ一矢報いたことへの喝采か、何らかの理由で現代の日本人が忘れられない出来事になっている。

 藩が取りつぶしにあうと、何百人もの藩士が路頭に迷う。家族や縁者も入れると何倍にもなる。なんだか、今の景気の低迷による、派遣切りや正規社員の首切りにも似ている気がする。無造作に仕事を奪うと恨みや不満が鬱積する。それが爆発するのを恐れる。

 「篤姫」が最終回を迎えた。最終回は期待しない、などと前段で書いたのだが、なかなかの出来栄えだと思った。感動する場面がいくつもあった。小松帯刀が登場するときの音楽と、篤姫が登場するときの音楽がともに美しい。

 「天命」・・・篤姫が使った言葉だ。人は誰もがなすべきことをなすために生まれてきた、のだと。なるほどと思った。大奥から市井の人になっても、前向きに生きる姿勢は変わらなかったようだ。地位やお金や名誉には固執せず、大切なのは、友や家族や穏やかな生活だとも言っていた。

 情に厚く、一本気ともいえる西郷は明治政府からほどなく離れ、故郷の薩摩に帰り、西南戦争で没する。昔の考えを捨て切れないと自分を語っていたが、正義や筋を通し抜くことがいかに難しいかを思った。亡き君主をあくまでも敬愛し続け、己を貫いての戦死・・・こう生きたいと思える人物像だった。

 若い時には無二の親友、明治になってからは袂を分かった大久保利通もほどなく暗殺される。明治維新には多くの犠牲が払われたと改めて痛感させられた。

 新しい大河ドラマは、戦国時代の越後の武将「直江」氏が主人公と聞く。「義」を持っていきた人物だと言われている。「信」や「義」は今では死語のようなものだ。この殺伐とした現在に一石を投じるドラマになってくれることを期待したい。

 私の生きるよりどころは「義」を貫くことだ。たとえ生きにくくても、これは捨てられない。



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