徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*百九十七段*<母校への思い>2008.12.25

 何日かぶりに電車に乗った。昼間の電車に乗って、周りの景色を車窓から見るのも良いものだ。

 すっかり茶色に染まり(「染まり」よりも「枯れ」と表現したほうがいいかもしれない)、陽射しもそこそこに冬らしく、風さえなければ、まあまあ寒さは感じない。

 仕事で母校に出掛けるときがあり、歩く道が「白山通り」だ。この道路の雰囲気はあまり変わらず、今でも歩くのが楽しい。理由の一つには、昔からのお店が変わらずにいくつか残っていることがあげられる。剣道具の専門店や中華の何軒かの店、居酒屋が何十年も営業している。

 母校自体は、建物が大きくなり、学生も増えて、都内に一つの専門学校、他の県に二つの学部をもつ大学を擁するまでに大きくなった。どこにでもある町の音楽教室のような、木造の2階建ての校舎を知っているだけに、一代でこれだけ大きくした創設者の二代目の人の、筆舌に尽くせないであろうご労苦が偲ばれる。

 時代が変わり、価値観が変わり、人物の評価が変わっても、業績は素直に認め続けるべきだろう。出来上がったものに対していろいろ言うのはたやすい。それでも零から作り上げる大変さにおもいを馳せなければいけないのだと思う。

 音楽に遅く目覚め、成人してからでも専門に学べる道を開いてくれた母校である。その時の先生方や、文字通り陣頭指揮で指導にも当たられていた学園長への恩を忘れることは出来ない。

 水道橋から春日、本郷までの道は、後楽園遊園地、都電、後楽園球場、講道館などを見ながらの、遅刻をしないように必死に歩く道でもあった。学生と機動隊との激しい衝突があったことなど、夢のようにさえ思える。確かにその場面があってそれを見ていた自分がいたのだが。

 前段に書いた、一枚しか買えない第九のチケットのように、少しのお金のなさや少しの不便さは、記憶に残る。もっと厳しいことだったら、厳しさを忘れようとするだろうから、かえって思い出せないのかもしれない。



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