徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百段*<想い出の断層−64−>2009.1.7

 七草の日になった。昔は、七草粥を食べていた。たぶん多くの家でそうだったように、季節の催事を結構忠実にやっていたように記憶している。

 菖蒲湯にも入ったし、節分では父親が本気になって豆をまいていた。「鬼は外、福は内」・・・か。在りし日の父を思い出す。

 松飾の期間も今日で終わり、また平常の生活に戻る。昔の子供にとって、冬休みのお正月と夏休みのお盆のときは、特別の日だった。「晴れの日」というべきか、晴れがましい日だった。「晴れ着」「晴の舞台」・・・とか、「はれ」という言葉は特別の響きがある。

 普段、買えないおもちゃを買えるのも、お正月の特別のサプライズだ。火薬がくるくるまわり、連射のできるピストルを買ったことがある。ブリキかトタンのにおいと火薬のにおいが何とも言えなく懐かしい。

 はねつきや凧あげを本当にやっていたのだ。たこが揚がった時の空気の抵抗を、糸を通して感じるあの気分は爽快そのものだった。おそらく、魚を釣った時のつりざおの手ごたえに似ているかも知れない。

 最近は、特に凧揚げの姿が見られなくなった。べーごま、タコ、めんこ、おはじき、ビー玉、では今の子供にはあまりにも刺激が少ないかも・・・と納得してしまう。

 中には、マニアの子供もいるから、知る人ぞ知る、で、受け継がれていることもあるのだろう。

 子供の時は、不自由をそんなに不自由とは感じない時期でもある。不自由さの喜びもあり、いま思えば懐かしいが、大人の父や母にとっては、子供に食べさせ、学校に行かせるのが、かなり大変だったのだろうと思う。母親が質屋に通っていた話を元旦にしてくれた。

 そんなことも考えずに、両親に対し、なんとわがままなことを言ってきたのかと、反省の機会を与えてくれるのが、お正月でもある。しかし、父は既に亡くなり、母も高齢になった。寂しさがつのる。親孝行、したいときには、親はなし、とはよくできた格言だ。



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