徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百二段*<喪失感>2009.1.15

 風邪からくるものか、味覚が鈍くなってしまった。機会があり、日本料理の有名な店で食事をしたときに、なぜか美味しく感じられなかった。料理のせいかと思ってもいたが、どうも自分の味覚が変だと思うようになった。

 体調が悪いと、連鎖反応のようにいろいろとうまくいかないことが出てくる。人間は単なる肉体だけで生きているのではないと実感できる時でもある。周囲の人との関係もなるべく吟味してから人間関係を作りたい。今までは、直感を頼りにしてきたのだが、少しずつ鈍くなりつつあるようだ。さらに、論理的に分析しなければならない。

 残された時間は、できるだけ善意の人、温かい人、純粋な人と交誼をしてゆきたい。いまさら、策略や駆け引きは御免だ。

 大みそかの日に、二校目の校長時代の教務主任だった教師が死亡したことを知った。明確な長所と欠点を持った、教師の枠には収まらない教師だった。毀誉褒貶・・いろいろ話は耳に入り、真実のもありそうでないものもあり、本当の姿は、ある期間接してみなければわからないものだ。三年間、部下として支えてくれた。人間味あふれる男だった。

 時に激情に走るところがあり、軋轢は多かった。それは私には魅力に思えた。自由奔放な性格の部下には、自由奔放さを十分に発揮させるのがいいのだ。自由奔放さを抑えようとすると、その指導が裏目に出る。窮屈さは耐えられないものなのだろう。不思議なもので自由を認めると事件は起きず、規制を強くすると体罰とかに連動する。逆説的だが、これが人の心の動きというものだろう。

 私が、転勤した後の様子は気の毒の一言だった。周りの人の態度はこれは面白いもので、落ちていく人間にはだれも助けをしようとはしないのだ。私には不思議な現象にみえた。人の心はそんなものか、と索漠とした気持ちになった。

 彼は疾風怒濤のように駆け抜けた。血糖値があまりに高く、無理やり病院に連れて行ったことがあった。診察室に一緒に入り、医師が、「アルコールはどれくらい飲むか」ときいた。彼の答は「無限大です」、「一週間にどれくらい飲みますか」答えは「毎日」、「疲労感はありますか」答えは「へっちゃらです」・・・私は診察室に一緒にいて医師とけんかになるのではとひやひやした。「この数値なので、すぐに入院をしてください」答えは「できません」

 医師が、上司の方はそれでいいのですかと聞く。苦しい問答だった。しかし思い出すと笑いが出てくる。豪傑だった。

 いま、なんともいえない喪失感に襲われている。このことだけではない、ほかにもあるような喪失感だ。まだ、目の前には現れないのだが。



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