徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百九段*<指揮者の譜面>2009.2.5

 七日に振る合唱組曲「蝶」の楽譜を見て考えていた。新しい楽譜と古い楽譜のどっちを使うか・・・。譜面の大きさが違う。片面B5と片面A4の差はかなりある。もちろん大きいほうが見やすい。老眼プラス乱視だからな、ちょっと弱気になったがやはり古い楽譜を使うことにする。

 時々使わせてもらう某文化会館では、私の知人が舞台関係を担当してくれる時は、ライトを指揮者の譜面に当てるときに、二倍か三倍にしてくれる。明るいとそれだけ見やすいからありがたい配慮なのだが、そんなわがままはあまり言えない。彼は、「スコアが焼けちゃうよ」とか「高橋バージョンだ」とかぶつぶつ言いながら照明を増やしてくれていた。

 指揮者にはタイプがあり、暗譜が得意な人、たぶん得意ではない人がいて、私は・・・当然?後者だ。と言いながらも、この「蝶」も二回は暗譜で振っているし、「第九」も暗譜だ。と一応弁解もしておいて・・・。

 今回の「蝶」は譜面を見る。そうだ! 指揮をするたびに新しいスコアに新しい書き込みをして指揮をするという人がいるというのを聞いたことがある。それも、私は不得意だ。指揮をするのも人生の積み重ねと似たところがあるから、書き込みを重ねた譜面を使うのもあながち間違いではないだろうと、また一応正当化しておこう。

 演奏する人が何十人もいる前での指揮という行為だから、全員が指揮者を好きなわけはなく、相性が合わないとか、要するに好きになれないとか、指揮がわからないとか、大体は指揮者がけなされるとことが多いようだ。ようだ、と書くのはさすがに本人の前では、滅多に言わないからだが。外から見るほど指揮者と演奏者との関係は、厳しい、かも。

 暗譜で振るそぶりをしないで、今日は暗譜だ、と言ったら、不安だから譜面を見てくれと言われたこともあったし、譜面は見なくてもいいから、指揮者用の譜面台に譜面を載せるだけ載せてくれと言われたこともあり、その時はそうしたな、と思い出した。

 長い曲だと、瞬間、集中力が飛ぶ、というか切れる、というか、本当に瞬間だが、途切れることもあり、それはやってみないとわからないし、指揮者本人しかわからない時もある。暗譜で指揮をしていて、管楽器のソロが入らなかったこともあった。そうなると、自分の指揮のせいか・・・と落ち込む。カラヤンとベルリンフィルのコンビでさえ、来日公演の時に、カラヤンの暗譜が不完全であろうと思われるアンサンブルの乱れが生じたこともあったし・・・。これだけ、書くと今回の演奏会の譜面を見るのも正当化できそうかも、とは書いたが、ほとんどは暗譜しているのです。指揮者は。しかし・・・。



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