徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百二十段*<ベートーヴェンの四番と五番>2009.2.23

 大河ドラマ「天地人」が、なんとなく中だるみの感じだ。二月の終わり近くで中だるみでもないだろうが。
 「風林火山」「篤姫」を見て楽しんできただけに、今年の作品には少し失望か。リアルタイムに見ているわけではなく、録画したのを見るのだが、少しずつ、見る意欲が薄れてきた。まだ若い時代の「兼続」の姿を描いているせいか、未熟さばかりが繰り返し強調されている気がする。北斗の七星のたとえも一回聞けばわかるし、紅葉の葉になれというたとえも、さらっと触れてほしいところだ。女忍者がいつの間にか忍び込んでいるというのも、荒唐無稽な演出だ。

 ドラマのように総合力で作品の良し悪しが決まるジャンルでは、たぶん、演出とか脚本とか俳優とか、一部のせいでだれたものになるということではない・・・と、思う。だから原因は不明だ。

 ベートーヴェンの四番のシンフォニーのテンポ設定を少し思案中だ。久しぶりにフランツ・コンビチュニー指揮のライプツィツヒ・ゲバントハウス管弦楽団の演奏を聴いた。1959年の録音というと、50年前の録音だ。フレッシュな感じはさすがにしないが、ステレオでの録音で自然に聴ける。と、また思った。

 演奏もわざとらしさのない自然な演奏だった。テンポの難しさは第四楽章だ。できるだけ速いテンポでさっそうと駆け抜けたいのだが、ヴィルトーゾオケではないし、それにも限度があるということだ。ケルテスとコンビチュニーのテンポが中庸で正解か。

 今度指揮をするのは四番と五番だが、なんとなく四番にはまってしまっている。五番は聴き過ぎかな。振ればもちろん心が燃えるのは昔と変わらない。

 意志の塊のような五番と、チャーミングなおよそベートーヴェンらしくない・・・と思える四番、この二つをほぼ同時期にベートーヴェンは作曲していた。最も五番のスケッチは完成の五年前に書かれているから、構想から五年を費やしてはいるのだが。

 この二曲を連続してやると、ベートーヴェンの奥の深さを否応なく感じる。などと今回のプログラミングには自信がある。あとは指揮と演奏か、これは、ひたすら精進あるのみだ。

 「精進」や前に書いた「蟷螂」なんて今どきの人は使わないかも。書いている人間の時代を感じさせるような書き方をしてしまった。



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