徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百二十六段*<想い出の断層−65−>2009.3.1

 三月になった。なんとなく微妙な春の気配を感じてきたと前段に書いたが、同じように感じていた人がいた。この微妙な変化を感じるとは・・・只者ではない気がした。
(少しおおげさに書いたか)

 三月は卒業式が思い浮かぶ。小学校の卒業式・・・五年生の時に送辞を読んだのが記憶に残っている。肝心の六年の卒業式の記憶はないのに。変に緊張して送辞を読んだ記憶が強いからか。考えてみると、小学生の時は良い児だったのだろう。

 中学生になると、これも記憶にない。たぶん普通の生徒になっていたのだろう。一学年13学級のマンモス中学校だ。埋もれて当然かも。

 高校生の時は、呼名の時に学年主任が緊張したのだろう、一列分を読み飛ばして最後まで気づかず、その列の生徒が「以上○○○名」といった瞬間に立ち上がったのを鮮明に覚えている。高校生時代は、当然あまり良くない生徒だ。(教師に反抗的だった、から)

 大学は卒業しなかったので、当然記憶なし。専門学校は記憶にある。が、その当時交際していた人と一緒の卒業式だったことくらいしか覚えてないか。高校以降はあまり好みの先生に出会わないときは、いや、尊敬する先生がいなくなった時は、記憶には良い印象で残らない気がする。

 教員になってからは音楽科の教師として、式の中のBGМにはこだわった。選曲や媒体に。初任のМ中学校では、証書授与の長い時間はエレクトーンの生演奏だ。毎年、軽くこなしてしまう生徒がいてくれ、音楽の人材の豊富な文化的な学校だった。音楽家になったものも何人かいる。 

 二校目のN中学校は、これは、フルオーケストラを駆使しての生演奏だ。送辞はグルックの「精霊の踊り」フルート無伴奏、答辞はグリーグの「オーゼの死」「ソルヴェイグの歌」。しかも送辞、答辞ともに、読む生徒と事前に打ち合わせをして、ストップウオッチで時間を計測し、どの言葉に来たら音楽を始めるとかを完璧に台本に書く。そして本番の式では、寸分の狂いもなく言葉と音楽が終わるということに、ひそかな喜びを感じていた。もちろん証書授与の長い(ある意味では退屈な)時間には、ヴィヴァルディの「四季」の弦楽器の演奏や、「アルルの女」の”メヌエット”、バッハの「G線上のアリア」や「ポロネーズ」などで来場者の耳を楽しませることに力を注いだ。「君が代」から「校歌」から「仰げば尊し」から「蛍の光」まで、全てがオーケストラの伴奏つきだ。「君が代」を練習すると、思想的な意味からか反対する人もいたが、そんなのは音楽の前に受け入れるわけにはいかなかった。

 卒業学年の学級担任の時は、名前を呼ぶときは顔を見ながらの全員暗記をしての呼名にこだわった。名簿を見て読み上げるなんて担任としてそれでいいのかと思い、というより普段ちゃんとしてやれなかったことへのお詫びの意味も込めて顔を見て言う。緊張と気持ちの良さがあいまって、気分は良かった。間違えたこともないし。

 なんだか久しぶりに自分の自慢を書けた気がして、気分の良い段になった。無論、陰でのいろんな支えがあったからこそ出来たことだ。これを忘れてはいけない。



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