徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百二十七段*<ヴィヴァルディ「四季」>2009.3.2

 三月三日のひな祭りのことを、上巳(じょうし)の節句というのだそうだ。「上巳の節句」ですぐに変換されたのだから、私の不明を少し恥じねばならない。桃の節句というのはわかっていたが。

 今年は暖冬だといわれながら、ああ、そうかな、程度で一月二月が過ぎ、このまま春に・・・と思って、というか期待していたのだが、冬もそうたやすくは退散しない風だ。

 ヴィヴァルディの「春」のメロディーが自然に浮かぶにはまだ時間がかかりそうだ。
 四季の「春」・・・高校生、大学生の時は好きな曲だった。四季といえば、当時はその演奏の代表がイ・ムジチ合奏団。これをおいて四季は語れないというほどにスタンダードな演奏で、このイタリアの合奏団は日本では爆発的な人気を誇った室内合奏団だろう。指揮者なしで、11〜12名程度の編成のように記憶している。なめらかな温かみのある、優雅な演奏だった。ソロvnがフェリックス・アーヨで、この名前も一世を風靡した。

 次に強烈な印象で、イ・ムジチの演奏を脅かしたのが、ネビル・マリナーの指揮によるアカデミー室内管弦楽団の演奏だった。この楽団の正式名称はもっと長く、セントマーティン・・・・(あとは覚えきれなかった) なのだが、略称アカデミー室内で覚えている。この演奏は、チェンバロがおしゃれに小気味よく装飾音符を奏で、冬かな?
 どこかではオルガンを使ったりして、斬新な演奏に聴こえた。優雅なイ・ムジチに対してシャープなアカデミーの演奏、と一言で言うとそうなる。

 三番目にクレーメルのソロでアバド指揮、ロンドン響の演奏がさらに鮮烈に聞こえた。アカデミーをさらにシャープにした演奏だ。私には好ましく聴こえた演奏だったが、レコード芸術などの評論ではあまり評価が高くなかった気がする。何の分野でも「評論」とは、するには易く、真実を伝えるには難しい分野なのだろう。ただ、いいことばかり書くだけの評論では評論か宣伝かわからなくなるし、評論を頼りにする人には困ることになる。(昔よりも最近はこっちの傾向が強いかな・・・音楽では)

 「評論」を評論するなんて無謀なことはさておき、「四季」だが、年とともに段々聴かなくなり、最近の演奏がどんなものなのかとんと疎くなってしまった。中学校の教科書の共通教材でもあったから、聴き過ぎかも。しかし、弦楽器と鍵盤だけで四季を描写することを考えれば、ヴィヴァルディの才能はすごいと認めざるを得ない。

 無理をしていま「春」を聴こうなどと思わなければいいのだ。そうだ!今はまだ「冬」を聴けばいいのだ。「冬」を聴くと余計に寒さが増すような気がするのだが、それこそが音楽の偉大な力だと思えば納得だ。



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