徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百三十段*<悩み…克服を願う>2009.3.5

 音楽の表現手段の中でも、指揮という行為は難しい一面を持っている。楽器と演奏者のように一対一の関係はありえず、指揮者一人に演奏してくれる人が何十人か、という関係が必要な職種?だ。それに自らは音を出さないし、出せないし・・・というべきか。
 もうじき一緒に演奏してくれる仲間のうちに体調を崩している人、仕事で一杯いっぱいの人、悩み、苦しんでいる人がいることがわかると心配でたまらない。

 何十人かが集まれば、一人ひとりの状況は千差万別、いい状況の人、あまり調子のよくない人が出てきても不思議はない。状況を知れば何とか助けたいとか力になりたいとかと思うのだが、そう簡単には解決する力が私にはないことも十分知っている。

 若いころに、自分の大きな悩みを心の中で、ひそかに解決することができずに、仕事に影響してしまったことがあった。先輩に当たる同僚が食事に誘ってくれて元気付けをしてくれたのだが、そんな状態のときは、おいしい食事や飲み物でさえも上の空だ。気分転換ではすまないところが自分ではわかっているし、同時に、その人の好意もわかっているだけに、その対応に苦しんだ。

 自分の悩み、苦しみ、病(身体でも精神でも)は自分でしか治せないのだとその時に思った。それでも、人が苦しんでいるのを発見した時は、自分が何かできるのでは・・・と思ってしまったこともあった。「・・・しまった」と書いたのは、それははじめからできないことだと自分の経験で分かっているのに、何とかしたい、何とかできるのでは・・・と思って行動をしたりした己のいわば傲慢さを省みての言葉だ。

 自分がただの人間だと謙虚に思えば、そんな不遜とも思える発想はしなかっただろうに、何かができるかも、という思い込みをしてしまうのだ。思い込みをしてはいけない、と最近はそのことが身にしみてわかってきた。遠くから、心の中で応援する気持ちを持つしかできないし、それ以上のことを考えてはいけないのだと。

 演奏会までに、なんとか持ち直してくれるのだろうか。苦しみから抜け出してくれるのだろうか。その人の力を信じ、待つしかない。一緒に演奏することを目指してきた仲間だと思えば、克服してほしいと願って待つしか私にはとるべき方法はないだろう。強く願って叶わないものはない!ということを信じながら・・・か。



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