*二百三十五段*<お酒の話…!?>2009.3.10
質の良いというか、味の良い、おいしいお酒を適量に飲む。そうすると、なんとも言えないほんわかした平和な気持ちになってくる。ほんのりとした感じ、とでも言おうか。
アルコールを口にしたのは、大学生になってからだ。ビールが最初の本当のアルコールだった。美味いと感じたのだから嫌いでないことは確かだ。ただ、惜しいことに、それほど強くはないのだ。量を多く飲んだ次の日は俗にいう二日酔い、だ。もう、お酒は飲まないぞ!と何度思ったことか・・・。仲間や大勢の中、調子に乗って勢いで飲むと、二日酔いになる確率が高くなる。
ひとりで飲むときは、まあ、大丈夫だ。しかし一人でも、憂さを晴らす時の自棄気味のお酒はだめだ。失恋とか、身内の死とかがその時か。
喪失感には極めて無力な己を知っている。青年の「失恋」というものは、なぜ、あれほど悲しいのか、悲しみに費やすエネルギーはかなりのものだと今になれば思える。あのエネルギーをもっとほかの所に使っていれば…などと「たら」「れば」の話だ。
何かに恋い焦がれるものは、死ぬまで持っていたい。「恋する」とか「一途」とか「憧れ」とかであらわされる感情だ。それが無くなった自分を想像するのが怖くもなる。生きた屍みたいなものになるのだろう。
己は誰で、何者で、何で生きているのか、さえもわからないのだ。他人のことはもっとわからず、さらに女性のことは、ことさらによくわからない。自分の持っていない何かを持っているということは間違いなく感ずるのだが・・・。
今になっても女性を美化してしまうのは相変わらずだ。言ってみれば「進歩なし」。
わからないもの、理解の難しいもの、言葉も通じにくいものに惹かれる不思議な感覚を私は持っているようだ。あまり、自分のためにはならない感覚なのだが。
そう、お酒の話だった。ちょっと値段の高めのおいしいお酒を少し、気持ちが良くなる程度に飲む。これを心がけよう。