徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百三十七段*<身長153cm>2009.3.12

 身長153p、体重15kg、アクセサリーを身に着け、ネックレス、腕輪をし、サンダルを履いているのはだれだ?と聞かれても、これだけではわからないだろう。それに年齢は約1300歳となると、う〜ん、スターウォーズのヨーダかな、とも思えないこともないが、正解は「阿修羅」だ。顔が三つあるのを言い忘れた。

 もうひとつ特徴があった。腕が6本もある。1300年も前に誰が彫ったかわからないが、仏像といっても美術作品としてみても何とも言えない美しさを持っていることに驚かされる。ひな祭りと端午の節句の時になると、コマーシャルで「顔がいのちの・・・・」という人形製作会社のコピーを耳にする機会が増えるが、そのコピーもなるほど、と思ってしまう。確かに「かおが、いのち」かも。

 土偶や埴輪を見ても心が動くことはほとんどないのだが、仏像になると話は違う。仏像の顔でも、はげしいものはちょっと敬遠気味になる。ダイナミックさもあまりピンとこない。なぜなのか・・・無意識に癒しを求めているのか、とも思う。サイズが大きすぎるのも大味に思えて「大きいなあ」と大きさに感動したりもするが、後になってもあまり思い出すことはない。

 そんな風に思っていると、興福寺の阿修羅像は魅力たっぷりだ。広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像、永観堂の見返り阿弥陀如来像、この二つをあわせて三つの仏像が心に残る(薬師寺の如来像と左右の菩薩像は私にはほんの少し大きい)。古い歴史を超えた何かが私の心に迫ってくる。

 さて、阿修羅展・・・いつ対面に行けるかだ。展覧会初日に行こうかと考えた知人がいて、会場の混雑状況の予想を聞かれたので、やめておいたほうが・・と助言した。ずいぶん前に、ゴッホ展があった時に(何十年も前だが)異常な人数で、まるでラッシュ時の電車のような中で見たことがあった。それは相手の都合に合わせたせいもあるのだが、その日しか都合がつかなかったのかも知れない。で、それ以降はできるだけ人ごみを避けての日程選びだ。これは意外に重要で、音楽会は満員の盛況のほうが盛り上がるし、会場の熱気も高まり、演奏も燃えるが、展覧会は満員の中で上がるのは室温と焦燥感だけで、結局は人と人の隙間からまさに垣間見ることになり、憧れの「人(像)」としっかり対面ができない。

 ガラス越しでない阿修羅像を見る機会は、興福寺に行っても無理な相談だから、やっぱり何としてもこの機会に対面のチャレンジをするしかない。



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