徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百四十六段*<音楽への転換点>2009.3.21

 リサイタルの時にお配りする冊子の原案が固まった。ホームページの徒然草の中から、約30段から40段くらいの抜粋になる。本番の日までには250段になるだろうから、全体の七分の一くらいの分量だ。とりとめなく書いているのが実際だから、この抜粋がわかりやすくなって正解だと思った。
 内容は、いくつかの部分に分かれている。憧れの音楽の部分が少ないかなとも思うが、セレクトは編集者に任せたのでそれが正しいのだ。己のことは己が一番判断しにくいものだ。

 音楽が好きになった原点は一体何だったのだろうと考えてみた。よくはわからない。音楽が嫌いだと思ったことはないのだから、好きになる資質はあったのかも知れない。

 小学生の時は大太鼓をやった(やらされた)ことしか思い浮かばず、あとは昔の蓄音器が学校にあって、そこから音が出ていたのは思い出すことができる。中学生の時は、音楽とは縁がなかったが、歌う時に声を出せば褒められていたので、声を出す快感に目覚めたかも知れない。でかい声で歌えばいいのだ、と思ったのだから単純だ。あとは、その時の産休補助の先生がきれいな人だったことか、図書室での「ボクの音楽武者修行」を読んだことか、この辺が漠然としている。
 ラジオとレコードプレイヤーの存在が大きかったことは間違いない。枕元にラジオを引き寄せ、夜遅くのクラシック番組を布団の中で聴いていた。レコードプレイヤーでは家族は歌謡曲を聴き、私ひとりがクラシックのレコードを細々と買っていた。クラシックに興味と理解をしてくれる家族はいないので、孤独な戦いだった、かな。

 運動系だった私が仕方なく方向転換したのは、やっぱり脊椎分離症という病気のおかげだ。背中の痛みには苦しめられたが、そのおかげで音楽へのかじ取りができたと思えば、病気よ、ありがとう、ということか。ただし、完治はせずに、だましだましの病気との付き合いだから、今でも背中が苦痛であることは変わらない。

 リサイタル開催は、大変さと嬉しさとが紙一重だ。好き好んで「指揮リサイタル」なんて誰もやらないことをやらなくても、指揮をするだけならオケや合唱の指揮をしてきたではないか、と、ささやく声も聞こえ、いや、自分の修練の成果は自分の責任で、多くの人に問うてみろ、という声も聞こえる。どっちにしても、賽は投げられた。運を天に任せて本番の日まで前に走るしかない。いままでも、何とかなる、の精神を唯一のよりどころにして難関を突破してきた。まさか、関所を前に討ち死に、はないだろう。
 しかし、人生にはいろいろな坂があり、「まさか」という「さか」もあるのだとか・・・マサカの坂には遭遇したくないな、と切実にいまは思っている。



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