徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百四十八段*<T君との付き合い>2009.3.23

 時々、登場するT君のご父君が亡くなられたのは先週末だ。彼は長男だし、悲しさを実感する前に、ご葬儀の各手続き等で否応なく忙殺されているだろうと思っている。父君の勤務していた関連の会社に就職し、立派に会社の中枢を担っていることが、親孝行の一つだったろうと推察した。

 彼が大学生の時からの付き合いだ。「想い出の断層」に自然に内容は移ってしまいそうだ。それ以来ほとんど途切れることなく、今日まで交友が続いてきた。何十年になるのか。27日ご来場の方々にプログラムと一緒にお渡しする「つれづれ棒振り日記」の中にも彼が登場することはまだ言っていない。怒るかな。

 ほとんど途切れることがなく、と書いたが、前のオーケストラの指揮者を降りるとき、ちょっと気まずくなったのか、少し連絡が途切れたことがあった。おそらく、誤解か、勘違いかのことだと思い、時間の経過に事態の改善を期待しながらしばらく待っていたら、習志野文化ホールでヴェルディのレクイエムの指揮をしたとき、ひょっこり終演後に客席から舞台に上がってきた。なんだか無性に嬉しかった。
 それでまた、何事もなく交友の再開だ。

 人の付き合いは、当事者の知らないうちに、当事者同士を知っている第三者が、無意識に、あるいは意識的に介在してくることがあるので、それには要注意だ。しかし、それも完全に防ぐことは難しいから、あとは当人同士の信頼関係に任せるしかない。このあたりは、人間関係の難しいところだ。これも、私が風評や他人からの情報は信じない、と思っている一因でもある。自分の目で人を判断せずに、誰かがこう言っていた、と言われて判断する。その人が組織の上司で、そんなことで部下を判断しているとしたら、悲劇だ。悲劇がたまに起こるとしたら許してもいいが、しょっちゅうではその部下はたまらない。上司に去ってもらうか、自分が去る、か・・・。上司を選べないから解決は困難だ。親を選べない子どものような感じか。


 できれば、早くT君が復活してほしい。今でも残っているやや反抗的な(ほんの少しだけだが)言葉をきき、子どもの面影を残す顔も見たいものだ。



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