徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百五十一段*<夢と現実>2009.3.25

 ご尊父を亡くされたTくんから、メールがあった。もう勤務につくとのこと・・・仕事は待ってはくれないから、厳しい現実だ。ただ、仕事に忙殺されることで心の空白感を少しは薄められるという見方も出来る。私も父を亡くした時がそうで、葬儀の次の日には出勤した。年度始めで、どうしても仕事につかなければならなかった。

 そういえば来月早々には父の命日が巡ってくる。もう11年になるのか。やはり時の流れが速く感じる。時々墓参をする。お墓にむかっても父の実像はなぜか浮かばない。虚しく手を合わせる。父の記憶が実像に近く浮かぶのは夢の中でだ。父は元気で若い。笑顔を見せる。だが、夢から覚めると現実ではないことをしみじみ噛み締める。
 胸が苦しくなる。

 夢は嫌な夢がよい。目覚めれば嫌な夢は現実ではないから、ホッとする。愉しい夢は、目が覚めれば消えていってしまう。残るのは、虚しさだけだ。
 夢を見る能力は私にはあまり必要ではない。見る夢を自分で選べないのだから。夢を見るちからを与えた神は残酷かもしれない。

 電車に乗って座席に座って、ある程度長い時間乗車をしているときに睡魔におそわれ眠るのは最高だ。この時は夢をみた記憶がない。短時間の熟睡だからか?

 これを読んでくれているかたは、どうですか。



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